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ローマ街道

すべての道はローマに通ず
そんな言葉をみみにすることが多いけど、実際にそういわれたローマ帝国の時代の道路は、軍用の幹線道路すべてを合わせると全長80,000km以上、
整備された道路以外の街道をあわせると約400,000km、地球10周分にもなるという。

すごい。
しかもその道路をメンテナンスすることをしていたというのだ。
もちろんすべてではないかもしれない。
帝国の栄華と衰退によってできることは変わっていっただろう。
それでも考え方にメンテナンスをすることが入っていたことが驚きだろう。
現代においても、メンテナンスを考えずに作られたのでは_
と思うような道をいくつも見ているのだ。


イタリア国内のローマ街道

しかし、ローマ帝国の中心だったローマとその近辺の街道がしっかりしていることを考えても街道がかなり整備されていることがわかる。
今の国道のような存在だったのだろう。
ふと好奇心をのぞかせてフィレンツェからボローニャにはなぜ道をつくらなかったのだろう、と思ったのだが、フィレンツェは街の形を成してくるのが、ユリウス・カエサルが紀元前59年に退役軍人たちに土地貸与されることによって発展していったのでローマ帝国とともに育っていった街なのだろう。
そして地図を見てもアペニン山脈が横たわっているとするとなかなか道を作る必要性も感じなかった場所だったのだ。
古代の人々が作った道は、我々以上に必要性と効率を考えたうえでのものだったに違いない。
そんなことを考えた。

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