霊視ができるようになる本
胡散臭い本でも、心霊本でもありません。現実に近い話です。
この本の著者である、シークエンスはやともさんとは、先にユーチューブ動画で出会っていました。1年程前から、心霊系のユーチューブ動画に少しハマり、島田秀平さんや、三木大雲さんなどの動画を好んで見ていましたが、そういった動画のコラボ企画で、シークエンスはやともさんの顔を少しずつ見るようになりました。心霊系だけでなく、都市伝説系の話など、それ以外の話もとても面白く、かつわかりやすく、そして説得力もあり、少しファンになっていました。そんな矢先に、書店で著書を見つけたので、「視たくない人は絶対に読まないで下さい。」の言葉を振り切って購入した次第です。
「霊」と聞くと「怪しい」、「信じていない」、「怖い」、「興味がない」など、ネガティブな印象を持つ人も多いと思いますが、私は信じざるを得ません。なぜなら1度だけ幽霊を見た事があるから。
まずは私の話から。興味がない方も、できるだけ面白くまとめますので、少しだけお付き合い頂けたら有り難いです。 (もう夏ということで)
20代の頃、彼女と和歌山県のかなり南にあるペンションに泊まった時の事です。買い出しに行こうと、とある岬の近くにある大きな橋を渡ろうと、夜22時頃車を走らせている時の事でした。周りが海なのでほぼ真っ暗でしたが、そんな中、反対車線側の道端をすごい勢いで歩く女性とすれ違うのを、外灯と車のライトが捉えました。
「え?何あの人?こんな時間におかしくない?あっちの岸まで大分あるけど。そもそもあそこ歩道ある?」私の激しい訴えはこんな感じでしたが、それに対し、彼女の反応はそっけなく、
「・・なんかあるんちゃう。」
「え?何かって?」
「・・急ぐ用事が。」
宿泊するペンションに帰ってからも、私がその話を勢いよくしても、「まあ、そんなこともあるんちゃう。」みたいな感じで、全然盛り上がらず、その夏はそれで終わりました。
それからは毎年夏になると、どこに一泊旅行に行こうか?という話題になると、私が
「そういえば、去年和歌山行った時、へんなおばさんおったよなあ?」と切り出すも、彼女が
「・・ああ。はいはい。」
こういったやりとりが、2、3年続きましたが、そんな事も忘れ7年経った夏の日でした。和歌山アドベンチャーワールドに行く事が決まり、私が思い出したように、「そういえば、だいぶ前に和歌山行った時、へんなおばさんおったよなあ。気持ち悪かったなあ。」と言ったその時でした。今までほとんどこの話に反応しなかった彼女が今までとは全く違う言葉を発しました。
「・・あの時のあの人は、この世の人ではなかったと思う。」
「・・え!どうゆう事?幽霊って事?」
「そう。」
「なんでそん時言わへんねん!!」
「あまりにも怖くて言われへんかった。それに面白がって言ったら良くないと思ったし、取り憑かれても嫌やし。」
彼女のその判斷は、正解だったでしょう。その時に彼女の口から幽霊という言葉が出ていたら、間違いなく私はそこら中の人に「幽霊見たぞ!!」と鬼の首とったように言いまくっていたでしょうから。というのは、私が見たのは、手足はしっかりあったものの、前傾姿勢で手をクモのように動かし、黒髪が腰の辺りまで下がり、白い衣服を着た女性でしたから。いわゆる「The・幽霊」幽霊の手本となるような方です。誰がどこから見ても幽霊のはずで、後は彼女の同意待ちでしたが、あまりにもそっけない切り返しに、「あれ、俺見間違えた?」と数年間丸め込まれていたようでした。
彼女は、以前にも一度霊体験があったようで、その時はバイトでレジ打ちをしていた時に、目の前でお金を払おうと立っているお客さんが霊だったようです。目が合った瞬間、動けなかったそうです。一般の人と見た目は一緒ですが、血の気が全くないのでわかるそうです。
この著書で、シークエンスはやともさんも、霊の見た目について触れていますが、同じ事が書かれていました。
私の方は、この体験がきっかけで霊感が芽生えたかといえば、全くそんな事はありません。この1回きりです。おそらくですが、それなりの場所に行き、いくつかの条件が揃えば、誰でも見る事ができるのでしょう。私のような霊感のない人間でも見る事ができましたから。
ここからが現実の話。私なりの解釈でいうと、キーワードは「catch(捕まえへる、捕らえる)」。人間が本来持っている五感の力をフルに活用する、もしくは磨き、周囲で起こっている事象を、しっかりと捕らえる事ができれば、当たり前のように色々なものが視えるし、先の事がわかるという話。風や空気や空の感じで、数時間先の天気が予測できるように。
現代人は文字に頼り過ぎている事で、感覚がかなり鈍っているようです。それはそうですよね。先の天気やこれからやるべき事だって、自分の五感をフルに使って予測しなくても、スマホに文字を打ち込めば、だいたいの事は教えてくれます。はやともさんは、別の自分のチャンネル内で、画像や動画がとくに危ないとも話していました。
同感です。自分も娘達を見ていて心配になります。部屋で時間があればスマホ、もしくはユーチューブ動画を眺めています。
今の時代、catchしに行かなくても、だいたいのものが、自分の目の前まで、運び届けてくれます。情報だけでなく、物だって。娘たちは靴や衣服まで、画像を眺めてポチッと選んで購入。Amazonが家まで届けてくれる。私には考えられません。試着して、見て・着て・自分に似合うか感じて購入。(昭和人間です。)
姫路城について調べなさいと言われて、電車に飛び乗って、1時間以上時間かけて姫路城へ向かう人は恐らくほとんどいないでしょう。姫路城と打ち込めば、姫路城が自分の目の前の画面まで来てくれます。
旅は車窓。目的地ではなく道中。近道ではなく寄り道を。なんて思ってますが、こんな事言ったら呆れられて誰も喋ってくれなさそうです。
でもサービスが行き届きすぎてませんか?姫路城の動画を眺めるだけで、大阪城も名古屋城も勝手についてきますよ。次にやらなきゃならないことをこれでもかと言わんばかりに、全部持ってきてくれるんですよ。考えなくても。ここが問題なんでしょうね。その物だけでなく、取り巻く環境や周囲にあるものを、catchして次にすべき事を考えたり、想像したりすると思うのですが、もうネットが全部やってくれるんですよね。
時間をかけて目的を達成する事が努力と言われ、意味を成してた時代が、時間をかけず目的を達成させる事に意味を成す時代になったような気がします。時間をかけることで、身になり筋肉になると思いますが(昭和的表現です)、筋肉いらないですからね。ボタン操作できれば。「筋肉よりも装備を。」文明が進化していくにつれ、人間は退化していくのでしょうか?
ちょっと話が飛躍したというか、この著書から反れてしまいました。
要は、人間が本来備えている、五感をしっかりと使い、色々なもの視ようとすることで、まずは自分を感じる事ができる。自分を感じれるようになると、人を感じ取る事ができる。人を感じ取れるようになる事で、人を幸せにできる。
著書の最後に印象深い事が書かれていました。
どんな人があの世へ成仏できるか?
「人のことを思い、与えられることを与えきった人。」
結局は、人を幸せにできる事が、自分の一番の幸せなんですね。自分と周りの人を幸せにする為の能力が霊視だと考えると、ちょっとは興味湧きませんか?
というか、霊視は予測を磨いたものだとすると、胡散臭さ減りませんか?大した事ないですよね。
「♫ミエナイチカラが僕を今動かしている。♪その気になればいいよ。未来はそんなには暗くない♪♪」
(B'z ミエナイチカラ )
ミエナイチカラを身に着けようとするか、装備品で身を固め、ボタン操作を駆使するかはあなた次第!!
最後まで読んで頂き有難うございました。人にも物にも良き出会いを。