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エッセー「憂国」

 僅か半世紀強程度の短い時間だが、その人生経験の中から会得した" 愛 " とは、「自分と同じように他者も慈しむ」である。そして「見返りを求めない無償の奉仕」である。

 最近、出生率に占めるできちゃった婚で生れた子供の数が割合が25.3%にも及ぶらしい。

 その反面、離婚率はうなぎ昇り。欧米人の如く一時の感情で安易に恋愛関係に陥り、妊娠、出産、そして些細な事(ほとんどがお互いのわがまま)が原因で喧嘩、離婚というパターンが日本でも定着してしまったようだ。

 可哀想なのは、そんなアホカップルの間に生れた子供達だ。親の因果は子に報う。まさに悲劇の連鎖である。

 結婚は「死が二人を分かつ」まで添い遂げる覚悟がなければしてはならない。そして、その覚悟を持って結婚したのであるならば、常にお互いの存在を認め、尊敬し、辛い時も嬉しい時も一緒に泣き、笑うことを楽しんで共に人生を送るべきであるというのが自論。

 「飽きたから」とか、「性格の不一致」だからとかいう幼稚な理由で離婚するくらいなら、最初から結婚などしなければいいしセックスなどしなければいい。

 善き時も悪しき時も、健康な時も病める時も、一人の女(男)だけを一途に愛し続ける、それが結婚するということなのである。

 親がもっともっと厳格に息子、娘を育てるべき。少なくとも昭和の時代はそうだった。だからこそ社会的なモラルが守られていたのだ。子供は国の宝である、民度のバロメーターである。

 スマホと塾通い、そしてテレビゲームとアダルトビデオがこの国をダメにした。

表現の自由もいいが、快楽殺人や強姦、イジメ、正当性のない暴力を賛美するようなコンテンツなど言語道断、発禁と焚書で厳しい姿勢で臨むべきと考える。

 そんなものがあるから「愛」と「正義」が廃れ、「悪」と「非道」が蔓延するのだ。

 超甘やかされて育った団塊ジュニアの子供達は、「我慢」という言葉を知らない。

 最近の日本人の自己中心的な行動と自己顕示欲、承認欲求は目に余るものがある。

 かつて「謙譲の美徳」が尊ばれた時の美しき日本人はどこに行ってしまったのだろう。

 何かあればクレーム、10円の物を買ってもクレーム、店員の態度が悪いとクレーム、自分の気分が優れないとクレーム、、、、、

 まさに「弱い者がさらに弱いものを苛める」悪循環社会。そんな世の中を喜ぶのは悪政を布く保守政党の政治家のみ。

 どんな糞会社でも、日本ではサラリーマンが一番偉い。ともかく一日8時間勤務していれば25日に給料をもらえる楽な人生。その「歯車」が日本ではヒエラルキーの頂点だ。

 銀行は定収入のあるサラリーマン以外には一銭も金を貸さない。

 日本はサラリーマンで尚且つ土地持ちなら、銀行は幾らでも金を貸していくれる3流国家だ。

 銀行員は現代の死神である。彼らがこの国を悪くした。

 銀行員と政治家は本来必要のない存在、そして最下層の唾棄すべき職種である。

 " 愛 " のテーマから大きく逸脱したが、それほどまでに最近の日本の発狂ぶりは凄まじい。 

 しかし、もっと恐ろしいのは、テレビで洗脳され思考停止状態に陥ったほとんどの国民がそれに気づいていないという事実である。

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