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エッセー「1987年 全国ダートラ部長会議の想い出」

 それは1987年の晩秋のことだった。

 ところは東京、飯田橋ホテルエドモンド。

 その日、開催を一ヶ月後に控えたオールスターダートラ(当時はまだ全日本シリーズ戦ではなかった)の統一レギュレーション策定の摺り合わせを行うため、JMRC各ブロックのダートラ部長が集まり「全国ダートラ部長会議」なる会合が秘密裏に行われた。

 会議の仕切りはもちろんあの男、俳優の白竜とまったく見分けがつかないほどクリソツなJMRC関東ダートラ部長CCCR代表 横倉”漢”正道氏。

 JMRC東北から福島の菅野氏、中部は柘植氏、関西は小西氏、中国は宮本氏、九州は諌山氏と、誰ひとり堅気には見えない(失礼)錚々たる面々がテーブルを囲む中、その末席を汚すのは東京都文京区本郷5-5-18、水のオレガノ本社横、山に海にお堂の堂と書いて山海堂「オートテクニック」ダートラ担当のI、そして「スピードマインド」ダートラ担当の不肖・自分。 

 会議は夜を徹して行われ、激論はすっかり夜も白み始めた頃に終わった。

 地方の親分、否、部長達は朝一の新幹線や飛行機で帰路につくべく、ホテルエドモンドを後にした。 

 残されたのは背中に「ダートラ命」の看板をしょった横倉"漢"正道氏と、Iそして不肖 自分。Iに目配せし、挨拶をして帰ろうとしたその時、朝の眩い陽光に細い目を細めながら窓際で明けゆく大都会を見つめていた横倉氏がこう言い放った。 

 「さて、Iさん、鳴海さん、これから明日のダートラ界について語ろうか。」。。。。 

 結局、その日、開放されたのは午前10時を回った頃であった。 ホテルを出て、Iと夜明けのコーヒーならぬ夜明けの牛丼を食いながら恐怖の一夜について語り明かしたことは言うまでもない。


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