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カーコラム「WRCメモワール '92アクロポリスラリー なぜか同じコーナーで落ちた2台のST185セリカGT-FOUR」

 1980年のポルトガルラリーでは、フォードワークスのエスコート・マークII、ロスマンズカラーのアリ・バタネン&ディビット・リチャーズ組とハンヌ・ミッコラ&アーネ・ハーツ組、2台そろって同じポイント、同じコーナーにコースオフ、クラッシュでリタイアする珍しい出来事があった。

 SS24のフィニッシュ近く、グラベル(砂利道)からターマック(舗装路)へと変わるところでコースオフ、1台はルーフからストップ、もう1台は立ち木で止まるというアクシデントだった。これはゴール近くという気合いの入るところで路面が変わったためにコースオフしたというのが理由である。

 そして1992年アクロポリスラリー。今度はワークス・セリカGT-FOURが、同じSS、同じコーナーへと落ちてしまった。トヨタワークスは挑戦2年目の1990年、アクロポリスラリーにカルロス・サインツで勝っている。もっともマシンが壊れやすい暑くて悪路のアクロポリスラリーに勝てたセリカGT-FOURだから、92年も当然、優勝を狙ってエースのカルロス・サインツ、マルク・アレン、アーミン・シュワルツの3台をエントリーした。

 この年から、トヨタのワークスカーは、僕らが"赤パンダ"と呼んでいたST185へと変わっていた。そのユニークなパンダのようなカラーリングは、今、再び見ても、「こんなのアリ?」と思うけど、マシンの仕上がりは悪くなかった。そして王者のランチャを追って、そろそろ初のメイクスを狙うチャレンジだったのである。だが、この年、メチャクチャ強かったのはランチャのディディエ・オリオールだ。ラリーはオリオールのリードで第1ステージから始められていた。

 一方のトヨタは、本命のサインツが第2レグのSS13でクラッシュ、リタイアしていた。そして3周目の第3レグ、今度はSS26、アーミン・シュワルツとマルク・アレンが、同じコーナーへと落ちてしまったのである。先に落ちたのはアーミンのST185。この時、ナビゲーターのアーネ・ハーツはコクピットからすぐ出ると、その落ちた崖を登り、SSコースへ戻ろうとしていた。そんな時、マルク・アレン、イルカ・キビマキ組のセリカが落ちてきたのである。

 2台のセリカは、同じコーナーを同じように落ちていったから、よくしたもので、同じところが壊れていた。フロントのグリル、そしてリヤのハッチバックである。意外にも、2台ともフロントとサイドのウインドは無キズ。同じところに同じスピードで落ちれば、そのクラッシュも同じだったのである。

 そんなアレンのセリカが落ちてくるのを、ハーツがかろうじてよけていた。それではなぜハーツが、落ちた瞬間、すぐにSSの道へと戻りたかったのか。彼はアレンが落ちることを予測したからなのである。

 前記のとおり、80年のポルトガルでも2台同じ所へと落ちている。ベテランナビゲータ-のハーツは、あれはドライバーのミス、オーバースピードだが、今回はナビゲーションのミスというよりペースノートのミスがあったから、「アレンも落ちる。その前に止めなければ!!」と思ったのである。そして、それを知らせる前に落ちてきたのである。

 実はこの時、2台は同じペースノートを使って走っていた。そのペースノートに間違いがあり、ペースノートどおりのスピードでコーナーへ入ったら確実に落ちることが分かっていたからなのである。そして92年アクロポリス、トヨタは3台のセリカを3台ともクラッシュで失った。当時は第4レグまであったから、トヨタワークスは1日スケジュールを早め、さっさとホテルを引き上げてドイツへと帰ってしまった。ランチャのオリオール、独走の92年WRC3勝目だった。


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