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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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#SUBARU

カーコラム「この男、危険につき。ラリー界の反逆児 トラヴィス・パストラーナが過激…

 頭のネジが緩みまくっているラリードライバーの中にあって、その尖兵としてケン・ブロックと…

カーコラム「究極の峠アタック 元F1ドライバーのスコット・スピードが魔のスーパーワ…

 アメリカ、ノースキャロライナ州とテネシー州の州境にあるRoute 129は通称" DRAGON ROAD "を…

カーコラム「WRCメモワール スウェーデンでの3台エンジンブローから僅か1か月。スバル…

 三菱がエリクソン、マキネンの1-2フィニッシュ飾った95年のWRC第2戦スウェディッシュラリー…

カーコラム「WRCメモワール ラリーデビュー当時、地元イギリスでクラッシュの連続の…

 あまりにもクラッシュが多いので、マクレーという名前とクラッシュを合わせて「マックラッシ…

カーコラム「WRCメモワール Rally Argentine '98 曲がったサスペンションを落ちていた…

 「石は工具か?」そんな現代のWRC規定に関する話題が出たのが1998年のアルゼンチンラリーだ…

カーコラム「WRCメモワール "WRカー元年の1997年、初戦モンテカルロラリーで勝利した…

 WRC全戦のその中で最も勝ちたいイベント、自動車メーカーとして最も貴重な勝利となるラリー…

カーコラム「WRCメモワール 1994年アクロポリスラリー "激怒するコリン・マクレ-に追い撃ちをかけた失格宣言"」

 1994年のアクロポリスラリー、スバルワークスのコリン・マクレ-の失格事件は未だに信じられない事件として記憶に残っている。  この年のアクロポリスラリーは、すでに今と同じ3日間のスケジュール。ただし、今と違って33SSのトータルは503.53km。現在の380km前後から比べれば1日分は長くハード、という設定だった。この年のスバルワークスはエースのカルロス・サインツに若いコリン・マクレ-の組合せ。まだWRカーになる前のインプレッサ555WRXである。スバルとしてはインプレ

カーコラム「超絶・壮絶・悶絶 Gymkhana 2020 by Travis Pastrana with SUBARU IMPREZ…

この世の中にはSUBARUかそれ以外かの2種類のクルマしか存在しない。 天上天下優雅独尊。SUBAR…

カーコラム「元祖ホットハッチ "スバル レオーネスイングバック1600SRX "」

 ゼニス・ストロンバーグ製のキャブレーターを2連装し最高出力100PS、最大トルク12.5kg-m搾り…

カーコラム「1989年 SUBARU BC/BF5型LEGACYオーストラリア PRESS試乗会の想い出」

 1989年にデビューした初代レガシィ(BC/BF型)は、非常に思い出深いクルマである。  当時…

カーコラム「1990年、スバル研究実験センターでWRCトップドライバーの"左足ブレーキ "…

 左足ブレーキングを始めて目の当たりにしたのは1990年、完成間もない富士重工のテストコース…

カーコラム 「SUBARU LEGACY Gr.AがWRC初優勝を飾った日。1993年ニュージーランドラリ…

 1993年のニュージーランドラリーは、スバルがWRCで初勝利を挙げた記念すべきイベントである…