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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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#WRC

カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」

1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへ…

カーコラム「その熱き走りは今も健在。韋駄天 ジル・パニッツィ]

2017年9月23・24日にフランス、LINAS(リナ)の"Autodrome de Linas-Montlhéry"において #3

ラリードライバーの頭に良心回路は存在しない!

少しでも手負いの獲物がいれば容赦なく牙を剥き襲いかかる。 基本的に"前"しか見ていないのは…

カーコラム「オペル カデット GT-E Rally Versionを自由自在に乗りこなすヴァルター・…

 1973年8月、歴代4代目となるオペル・カデットがデビューした。  新型カデットは、GMのグロ…

カーコラム「WRCメモワール 記念すべき90年アクロポリスラリー カルロス・サインツWRC…

 エル・マタドールの異名をとるWRC界のレジェンドドライバー、カルロス・サインツのWRC初勝利…

カーコラム「WRCメモワール スウェーデンでの3台エンジンブローから僅か1か月。スバル…

 三菱がエリクソン、マキネンの1-2フィニッシュ飾った95年のWRC第2戦スウェディッシュラリー…

カーコラム「WRCメモワール マジメすぎるほどマジメ。しかしなぜかイギリスでは不運続きのカルロス・サインツ」

 カルロス・サインツはスペインでは英雄である。WRCにはスペイン人のジャーナリストも来るが、その多くはサインツ専門の追っかけ取材で、彼がリタイアすれば、「もう関係ない」という感じになってしまう。それほどスペインでの人気は高い。  コ・ドライバーのルイス・モヤは陽気なスペイン人。酒も夜遊びも好き。ハダカ踊りは有名である。サインツは酒もタバコもやらず、人生の99パーセントはラリーのことだけを考えている、というマジメ人間。モヤとサインツの二人を見ていると、陽気だといわれるスペイン

カーコラム「WRCメモワール サインツをスケールアップさせた1990年サファリ・ラリー」

 以前書いたとおり、当時のサファリラリーは大変だった。3月から4月にかけて開催されていたラ…

カーコラム「Gr.B時代を終焉に導いた究極のモンスター "ランチャ デルタ S4 Gr.B"」

 ランチャデルタS4は、ラリー界の名門、イタリアのランチャが、WRC制覇のため先端技術の粋を…

カーコラム「ジル・パニッツィに見る " 走りのセオリー "」

 " 走る不動明王 " ことジル・パニッツィのドライビングテクニックはスポーツドライビングの…

カーコラム「WRCメモワール '92アクロポリスラリー なぜか同じコーナーで落ちた2台のS…

 1980年のポルトガルラリーでは、フォードワークスのエスコート・マークII、ロスマンズカラー…

カーコラム「WRCメモワール フランソワ・デルクールの衝撃的なモンテ・デビュー」

 スペルどおり「フランコイス」と呼ぶ人もいるし、普通は「フランソワ」と呼ばれている。でも…

カーコラム「WRCメモワール 記念すべきWRC初勝利を目前にしてのリタイア! ブルーノ・…

 毎年、シーズンが変わるごとにワークスシートを失う有力ドライバーたちが出現する。2001年か…

カーコラム「WRCメモワール 95年スウェーデン、チームオーダーを無視しトップを走るマキネンにかけられた大反乱疑惑」

 1994年のフィンランド。トミ・マキネンはフォードに1戦だけの約束でチャーターされ、独走で勝ってしまった。  彼の才能はグループNでのギャラン時代から高く評価されていたが、あの時の1000湖ラリーは、まさに"マキネン速し"であった。そして95年のWRC、マキネンは正式に三菱ワークスへと入るのである。  三菱の木全巌総監督は、前々から「英語がしゃべれるようになったらウチに入れてやるよ」と語っていたが、この頃には言葉のほうもかなり上達していた。そして初戦のモンテカルロラリー