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Essay

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鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
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#70年代

エッセー「日本中からバッシングを受けた伝説的漫画"ハレンチ学園 "について」

 昭和44年頃、まさに社会問題となった永井豪原作のマンガ『ハレンチ学園』。  このマンガの影響により、女子の対する ” スカートめくり ” が日本全国で大流行となった。  連載されていた少年ジャンプは都道府県によっては有害図書に指定され、作者の永井豪自身も全国のPTAから魔女狩り的糾弾を受けた。  当時の東京12チャンネルでアニメ版が放送されたが、これを観るのが至難の業。  小学校4年生当時、録画用のホームビデオもない時代に観たければリアルタイムで親に隠れていかに観る

エッセー「全国にスチュワーデスブームを巻き起こした伝説のテレビドラマ"アテンション プリーズ "の想い出」

 スチュワーデスは(今はCAとか呼ぶらしい)は男の永遠のロマンである。  スチュワーデスと言えば、1970年~71年(昭和45年~46年)に日曜日19:30~18:00までの通称「不二家枠」で放送されていたドラマ「アテンション プリーズ」。  紀 比呂子(きの ひろこ)演じるスチュワーデスの卵 ' 美咲洋子 ' が、数々の失敗を繰り返しながらも立派な国際線スチュワーデスへと育ってゆく姿を描いたこのドラマ、当時、日本全国の小学生(特に女子)の殆どが観ていた。  自分の周り

エッセー「資生堂 " MG5ヘアトニック "の想い出」

 資生堂の男性化粧品シリーズ ” MG5ヘアトニック ”。  昭和40年代、小学校高学年の男子の間では男性化粧品、中でも整髪料が大ブームだった。  記憶が定かではないが、当時、MG5のヘアトニックが500円くらい、エロイカが700円、ブラバスは1000円近くらいだったような気がする。  ブラバスを使っていれば、それだけでクラスのヒーローだった。  整髪料をつけているかいないかでは女子達のうけも違ったのは事実。  当時なけなしのおこずかいをはたき、よくMG5のヘアトニ

エッセー「昭和のレガシー 謎の通販健康器具 "スタイリー"」

 昭和47年頃にテレビでガンガン流れていた「スタイリー」という謎の健康器具のCM。  テレビ通販の第一号(定かではないが)と言われるこのCM、最後に変な外人が出てきて(恐らく社長)、  「アメリカで生れたスタイリー、わたしに電話して下さい、どうぞよろしく!」  と、たどたどしい日本語でアピールすると共にブラウン管にはでかでかと電話番号が映し出される。  このCM、当時は全国の小学校、中学校で大流行。  やたら巻き舌で「わたしに電話してくださ~い!」とやってた。  

エッセー「千葉真一が吠える!伝説のテレビドラマ「ザ・ボディガード」を熱く語る」

 昭和49年(1974年)当時、現在のテレビ朝日は「 NET 」 または「10チャンネル」と呼ばれていた。  その時代、NETは傑出したテレビドラマシリーズを数多く製作、放映していた。  その白眉とも言えるのが「ニヒルな二枚目」天知茂主演のハードボイルド刑事ドラマ「非情のライセンス」、そして今回ご紹介する「ザ・ボディガード」である。  「ザ・ボディガード」は、毎週木曜の午後10時という大人の時間帯に放映され、西村晃(故人)演じる伊達正が率いる警護会社「ザ・ボディガード」

エッセー「日本のルアーフィッシング草創期 1970年代 前編」

 1960年代後半から一般に普及し始めたルアーフィッシングは、戦後第2次ベビーブーマーである昭和30年代前半生まれの子供達が小学生高学年から中学生となった1970年代初頭、ついに本格的なブレイクポイントを迎えた。  1米ドルは360円の固定相場の時代。 東京オリンピック、大阪万国博覧会とビッグイベントを立て続けに成功させて高度経済の大波に乗る日本では、国民生活にゆとりが生まれ急速に欧米志向が高まっていた。  そんな中、ルアーフィッシングは舶来の「カッコイイ釣り」として釣り

エッセー 「追憶のマクドナルド」

 マックは普通のハンバーガーが最も美味しい。  昭和46年(1971年)、銀座三越のマクドナルド第一号で生まれて初めて食べたハンバーガーの味は今でも鮮烈に憶えている。  アメリカのカトゥーン(アニメ)「ポパイ」に出てくる太っちょのウィンピーがいつも食べている憧れの食べ物、それがハンバーガーであった。  発売当時、ハンバーガーは80円、チーズバーガーは100円、そして夢のビックマックは200円と高額だった。  しかしこの時代、牛肉そのものが高級品であり、それがワンコイン

エッセー 「70年代の荒ぶる青春群像を描いた異色のカーアクション映画 "ヘアピン・サーカス "」

 キャッチコピーは「真夜中のハイウェイ 愛に飢えた2台の車が絡み合う いのちを燃やして疾走する男と女」である。  「青春の門」で有名な直木賞作家・五木寛之原作を元に映画化された異色のカーアクションムービー ' ヘアピン・サーカス ' は、70年代モンドムービーの中でも一際異彩を放つ快作である。  なにしろキャストが凄い。  主人公の元レーサー・鳥尾俊也を演じるのは当時人気絶頂期の現役レーシングドライバー・見崎清志。  相手役の小森美樹役には富士グラチャンシリーズのレ

エッセー 「70年代を代表するディストピアSF大作 "未来惑星ザルドス"」

 ショーン・コネリーが赤フン一丁で頑張っている幻のSF大作、それが1974年製作のイギリス映画「未来惑星ザルドス」である。  当時、赤絨毯のテアトル東京(京橋)に観に行った。  2293年、人類は不老不死の「エターナル(Eternals)」と有限の生命時間(要は普通の人間)の「獣人(Brutals)」が存在していた。  「獣人」は荒廃した土地に住み、理想郷「ボルテックス」に住むエターナルのために食料を生産する奴隷であった。  ふたつのグループ間の接点は「ザルドス」とい

エッセー「UFOブームの火付け役 "謎の円盤UFO"」

 「1980年代、人類はすでに地球防衛組織S.H.A.D.O.(シャドー)を結成していた。S.H.A.D.O.(シャドー)の秘密基地は、ロンドンのとある映画会社の地下深く秘密裏に造られ、沈着冷静なストレーカー司令官の基、日夜謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた」。  矢島正明氏(スタートレックのカーク船長の声)の名調子で始まる「謎の円盤UFO」は、1970年から1971年にかけて、日本テレビ系列で毎週土曜日の午後8時から放映された。  記憶が確かならば、番組スポンサーはSO

エッセー「刑事スタスキー&ハッチ」

 1977年にTBS系列で放映されたアメリカのドラマシリーズ「刑事スタスキー&ハッチ」は、日本全国に空前の「スタハチ」ブームを巻き起こした。  当時、ハッチ刑事役のデビッド・ソウルのモテたこと、モテたこと、そりゃあもう凄かった。  来日すれば成田空港は出迎えのファンで溢れ、ついには日本限定のレコードまで発売されるほどの異常人気だった。  今で言う韓流ブームに近いものがあったな。当時は脚が長くてバタ臭い西洋人だったけどね。  今考えると何故なんだろうかと思うが、ブームと