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Essay

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鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
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2020年7月の記事一覧

エッセー「ラリー屋絶賛 ST165型セリカGT-FOUR雪原大激走! " 私をスキーに連れてって "」

 バブルと言えばホイチョイプロダクションでしょ。  ホイチョイとくれば1987年に公開された原田知世主演の『私をスキーに連れてって』。  『私をスキーに連れてって』は、後に『彼女が水着にきがえたら』(89年)、『波の数だけ抱きしめて』)91年)と続くホイチョイ三部作の記念すべき第1作。  当時、この映画の影響で空前のスキーブームが巻き起こった。  この作品を改めて観直してみると、ネットも携帯も普及していなかった80年代の方が今よりも遥かに幸せで楽しかったとつくづく思う

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 最終回」

 大路池二日目、午前5時に朝食を済まし、ラッパ荘を後にする。  例によって都道をてくてくと歩き、大路池入口を目指す。30分ほど歩くと入口看板が見えてくる。そこから都道を離れ、延々と原生林に覆われた山道を下ること10分、エメラルド色の湖面が煌めく大路池が見えてきた。  昨日のニア40センチクラスに気を良くしていたので、二日目は積極的にトップウォーターで攻めて見ることにした。  ルアーはボマーのロングA11cmのブラックをチョイスした。  キャスティングして着水後、波紋が

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.3」

 宿から歩くこと約30分、原生林の樹海の中についにその姿を現した大路池。その澄んだ水面下に、黄金の背中を持つという伝説の「ブロンズ・バック」が潜んでいるかと思うと、いてもたってもおられず、そそくさとFenwick FC60のロッドをつなぎアンバサダー5000Cをセットした。  バークリーのカメレオンラインをガイドに通すと、黒金のジョインテッド・ラパラ11cmをダイレクトノットで取り付ける。これで準備は完了。湖面に突き出た展望桟橋に立つと、記念すべきファーストキャストを投じた

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.2」

 ディーゼルエンジンの唸りを子守唄に、船倉近くの二等客室(ザコ寝)での狂乱の夜が明けた。  気が付くと客間のカーペットには一升瓶やらウィスキーの空瓶やら缶ビールの空き缶などが散乱し、足の踏み場もない状態となっていた。  新鮮な外気が吸いたくなり、長い階段を上りデッキに出た。鉄扉のハンドルを回して扉を開けた瞬間、東京では絶対に味わう事ができない、外洋上で生まれたばかりの新鮮な空気が肺腔一杯に流れ込んできた。  空気が甘いと感じた事は、これまでの人生でその時がただ一度切りの

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.1」

 1978年の5月の連休、気まぐれに「三宅島へ行きたい!」と思い立ち、そのまま竹芝桟橋へ直行。  気がつくと就航間もない東海汽船の新造客船「すとれちあ丸」の甲板で、出港を告げる銅鑼の音と「蛍の光」を聞きながらペプシコーラを飲んでいた。  やがて船はゆっくりと岸壁を離れ。。。。あ、旅行記ではありません。  そもそもなぜ三宅島なのか?   実は当時(1978年)、主要な釣雑誌(フィッシング、アングリング、釣人など)の誌面を賑わせていたある噂があった。  それは、伊豆七島

エッセー「25箇条の"世界革命綱領"」

 1773年、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、フランクフルトに12人の実力者を集めて秘密会議を開いた。  この会議において全世界のマンパワーと資源を独占的に支配するための計画が話し合われ、25項目からなる「世界革命行動計画」と呼ばれるアジェンダ(行動計画)がスタートした。  現在地球上で起きている戦争、飢餓、疫病、天変地異、経済恐慌といったすべての混乱と悲劇は、ほんの一握りの一族の利益のために引き起こされている。  これは妄想でも空想でもなく、紛れもない事実であ

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エッセー「新感覚ハイブリッドカンフーアクションムービー"Six-String Samurai(シックス-ストリングス・サムライ)"」

1957年、核戦争で敗北を喫したアメリカは、最後の楽園「Last Vegas」を除いてすべて" 赤 "一色に塗り潰されてしまった、という荒唐無稽な設定の迷作、それが 本作" Six Strings Samurai " である。 核戦争後の荒廃した近未来というと不朽の名作 ' Mad Max ' を想起するが、この作品はある意味その数万倍も過激でアナーキーである。 アナーキーと言えばカッコいいが、要はキッチュ、ビザール。簡単に言えばシッチャカメッチャカ。 最後の楽園 " Last Vegas "の支配者である「エルビス」が急逝し、その跡目を継がんとするツワモノ達が全米から" Last Vegas " に集結中する中、映画の冒頭、原野で夜盗に襲われている母子を、たまたま通りかかった「厚ぶちメガネに黒いスーツ、エレキギターを担いだ男」" Buddy " がギターに仕込んだ刀でバッタバッタと斬り倒して助ける。 しかし、運悪く母親は亡くなり、残された子供は「厚ぶちメガネに黒いスーツ、エレキギターを担いだ男」の旅に同行することになる。 この男の目的地はもちろん" Last Vegas "。 この映画に意味やストーリーはない。全編に50年代のアメリカンロックが流れ、超キレにの良いチャンバラとカンフーアクションが交錯する活劇映像を楽しんでいればそれでよい。 主役の「厚ぶちメガネに黒いスーツ、エレキギターを担いだ男」を演じているジェフリー・ファルコン、小汚いくせしてなぜか超カッコいい。 すかっと爽快、頭ウニウニの隠れたB級迷作、必見。

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エッセー「2001年宇宙の旅」

"2001年宇宙の旅"、1968年の公開当時、テアトル東京の70mm大画面でこの映画をはじめて観た時の感動は今でも忘れない。 その後、幾度となく劇場で鑑賞し、さらにDVDまで購入して今日に至るまで鑑賞し続けたがキューブリックがこの作品に込めた真意は未だにわからない。 恐らく、人類が存亡の危機に瀕し、それを契機としてさらなる進化を遂げる時、、まるで落雷に打たれかのようにその真意を悟るのかも知れない。

エッセー「ブラジルの土着格闘技 " カポエラ "驚愕の神技」

 ブラジルがポルトガル領だった19世紀初頭、人身売買でアフリカから連れて来られた黒人奴隷が、自らの身を守るための格闘技が起源とされる格闘技カポエラ。  手錠に繋がれて、腕の自由を失っても、アクロバチックな動きの足技だけで敵を倒すことができるカポエラは、黒人奴隷は看守を誤魔化すために音楽に合わせ、踊りに見せかけて練習したため、格闘技というよりも舞踏的な要素が強いとされてきた。  しかし、実はカポエラは、とてつもない破壊力を秘めた恐るべき格闘技なのである。  驚異的な柔軟性

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エッセー「りりィ礼賛」

りりィ、享年64歳。あまりにも早すぎる死。 日本映画の金字塔とも言える遊戯三部作の最終作にして最高峰「処刑遊戯」に、松田優作演じる鳴海昌平を組織に引き込むため接近する謎のピアノ弾き「直子」として出演、ミステリアスでクールな演技で物語を彩った。 独りオールド・クロウを静かにかたむけながらりりィの弾き語りを聴く時、ハスキーボイスの歌姫の艶姿が脳裏に蘇る。

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エッセー「松田優作に見る " 男の美学 "」

「最も危険な遊戯」、「殺人遊戯」、「処刑遊戯」から構成される遊戯三部作は、今なお日本映画史上に燦然と輝く不滅の金字塔である。  遊戯三部作は、それまでの日本映画が最も不得意としてきたキャラクターである「プロの殺し屋」を、リアルに描く事に成功した唯一無二の作品群である。  松田優作という稀代の役者、鬼才・村川透の演出、仙元誠三の斬新なカメラワーク、大野雄二のジャジーな音楽、そのどれ一つ欠けてもこのシリーズの成功はなかった。  「殺人遊戯」冒頭の回想シーンで流れるのがこの曲、松田優作が歌う' 夏の流れ ' である。  殺しの手引きをした秘書(中島ゆたか)をクルマの中に残し、朝もやの立ちこめる埠頭に一人消えてゆく鳴海昌平の後ろ姿。  これをカッコいいと言わずして何をカッコいいと言えばよいのか。  強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格はない。  男・漢、オトコたる者かくありたい。

エッセー「水になれ」

 強いということは虚しい。それは、力であれ、金であれ、権力であれ、同じ。なぜなら強さには限界というものがないからだ。つまり、上には上がいて、それを追いつき、追い越すため必死の努力をしたところで、いつかはまたそれを超える存在にぶちあたる。まさに堂々巡りの無限地獄。  強さを求めてはならない。力は力により制される。力を持たぬものが最も強い。  水になれ。一滴の水は岩をも穿ち、山をも崩す。形を持たず、変幻自在に変化する。細き流れはやがては大河となる。  泰然自若、粛々と淡々と