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仕事を労働と捉えるかキャリアと捉えるかでは仕事の選択基準や将来の方向性、可能性が変わってきます

 薬学生のための仕事研究フェアで講演する機会を頂きました。仕事・業務を通してキャリアを磨き上げていくことをしっかり伝えていきたいと考え準備をしました。


白血病発病で人生が終わったかと思ったところから現在までどのような考えで活動してきたかを整理しました。

 いかなる環境でも生き抜くためにプロレベルの研修講師を目指し、まずはサバイバルスキルとしてプレゼンテーションスキルを徹底的に磨きました。スキルが定着するまでの期間は研修や製品説明が実践の場で笑われたことや批判されたことも多々ありましたが、生き抜くための武器と決めただけに突き進め今も磨き続けています。

 次にチャレンジしたことは研修内容が全く記憶に定着しない課題と研修に臨む社員の姿勢を変えることでした。日本ファシリテーション協会中部支部が定例会を開催していることを知り足を運びましたがなかなか身に付きませんでした。それでも本社から指示された講義型研修の内容を参加型の変換し自分なりに考えたファシリテーションを実践し続けました。本社からのクレームは支店長が責任は取ると守ってくれました。初めての開催での支店長評価は「誰も寝ていない。素晴らしい」から始まりました。3か月時点でのアンケートはぼろくそに書かれました。支店長から改善しろと指示され社員インタビューしました。ぼろくその理由は「疲れる」「研修は憩いの場でいい」でした。これに心を燃やし継続しました。その結果、半年後には「参加型がいい」に切り替わりました。環境変化には必ず抵抗が生まれます。押されては目的は達成できません。押し返し続けていけば新たな環境に適応しそれが習慣となります。それ以降手を変え品を変え10年間継続しました。

 がん患者になって取り戻したかったことの一つに「役に立ちたい・認められたいという貢献」がありました。そのため取り組んだことが医療機関での医療接遇研修でした。製薬会社が研修サポートはNGでしたが、社員が講師の場合はOKということを見つけました。そこで患者体験を開示して患者の想いとコミュニケーションスキルを合わせたプログラムを提案しました。これが想定以上に口コミで広まり依頼が相次ぎました。しかし、日本全国からのオファーを受けだすと内勤者の社外業務かつ担当エリア以外への出張は支店長から厳しく指導を受けることになりました。それでもめげずに継続しました。しばらくすると支店長が医療機関を訪問するたびに院長からお礼を言われることが続き、一転し、接遇研修は正式業務と認められました。しかも重要な位置づけと認められました。いわゆる「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」を身をもって経験しました。こうして「役に立つ・認められる」自分を取り戻しました。

 看護教育は思わぬところから関わりが始まりました。セミナーで知り合った友人に何が教えられるのと聞かれて「プレゼンテーション」と答えました。そして、数日後、看護協会から掛かってきた電話は「コーチング研修」の依頼でした。この時、頭によぎったことは副業が認められるのかどうかでした。プロレベルを目指すなら報酬を頂いた上での社外の評価が重要だと考えていたため、その場で決断し依頼を受けることにしました。研修準備期間の一年間で準備し無事、研修を成功させることが出来ました。会社と交渉することにより単発的な副業として認めてもらいました。初めてのプロ講師経験はプレッシャーを感じましたがそれを跳ね返す準備により研修終了時にはスキルと精神力を大きく成長させることが出来ました。

 看護師団体からの相談は無茶振り系も多く、その度に考えに考え抜いてプログラムを書きました。一番苦しかった依頼は「看護師の離職を止めて欲しい」でした。離職を考えている某地区看護師100名を対象に60分のワークと60分のグループディスカッション 計120分のセミナーを実施しました。魂込めてワークを行った結果、ポジティブな話し合いが始まり、最終的に自分たちのような気持ちにさせないためにという発表が相次ぎました。この経験は大きく、その後自社の新入社員研修に取り入れた結果、私が担当する新入社員は休職や退縮が著しく少ないという結果に繋がりました。介護施設でも同じような相談を受け、退職者を止めることが出来、労務倒産を防ぐことが出来ました。

厳しい試練はそこだけを見れば逃げたくなります。大切なことは乗り越えた後の視野や視座を先に見ること、そして、その感情を体験することです。それを手に入れるために試練を克服するのです。


 薬剤師への研修が始まったきっかけは予定した講師の穴埋めとして講演したことでした。薬剤師会への案内状も自分で勝手に書いてしまいました。「超人気の売れっ子講師」と。その効果があり会場は普段の倍の参加者で満杯となりました。自分が書いた案内文の通りに「超売れっ子講師」を演じたため神がかったようなファシリテーションとなり盛り上がりました。

 この頃から薬剤師仲間との交流を深めようと薬剤師会のイベントに参加しました。懇親会が始まり名刺交換が始まると「どうして製薬会社が混じっているんだ」と言われることが良くありました。「薬剤師です」と伝えても疎外感は消えませんでした。それでもめげずに参加していると徐々に声を掛けてくれる人が出てきました。そのうち、誘ってくれたりするようになり打ち解けていきました。これはいろいろな薬剤師団体に参加するたびに起きました。その度に「またか」と感じましたが「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」を信じて突き進み、多くの薬剤師仲間を得ることが出来ました。

 同じ学部を卒業し同じライセンスを持つ仲間の間に壁が出来ることに違和感を感じ、大事に育てたのが薬剤師学習グループ「しゃちほこ薬科」です。コンセプトがチームファーマシスト 誰もが講師で受講生としました。ここでは誰もがクラスメイトとして交流できます。

 新しい領域に踏み込むと波が立つものです。それを恐れていては何も出来ません。震える足に力を込めて一歩踏み出す勇気、波しぶきを浴びてもひるまずさらに前に踏み出す胆力を磨くことが出来ました。


 在宅医療の領域研修を作る際も分からないことばかりでしたが多くの薬剤師仲間からアドバイスを頂きました。しかし、在宅医療は多職種連携が重要です。そこで医療・介護の様々な職種に対してアプローチをしました。最初は緊張しましたが徐々に慣れ、仲間がいっぱいでき気軽に情報交換できるようになりました。慣れて来ると薬剤師に対する評価やニーズを私にぶつけてくるようになり、辛辣な意見を多々頂きましたが、現場で欲していることが自然に入るようになり、それにフォーカスした研修を作っていきました。

 地域包括ケアシステムにおける製薬企業ビジネスの変化をとらえるために在宅医療、次に高度急性期から慢性期、在宅医療の課題や医療経営に関わるようになりました。診療報酬改定、制度改革を学びました。医療経営者と話し合うことにより深まっていきました。さらに深く学ぶために大きな構造的な変化も研究するようになりました。

 新しい領域を学ぶことは新鮮な気づきや発想に繋がります。不安という幕をかいくぐれば新しい世界が広がっています。是非チャレンジしてみてください。


 がん患者としてもがんピアサポーター活動を通して多くの患者の喜怒哀楽に触れることができました。それが医療接遇研修に生かされていきました。その結果、薬剤師研修も引き出しが増え、薬学部での非常勤講師に繋がっていきました。医学部での非常勤講師は多職種連携の際の名刺交換がきっかけとなりました。

 がん患者支援イベントでの活動により全国のがん患者仲間とのつながりが出来ました。オンラインイベントが頻繁に行われる現在、全国の仲間とすぐに交流することが出来、人生を豊かに感じながら日々を過ごしています。


 自分が考えてきたことや実践してきたことを後世に残したいと考え「死ぬまでに読んでおけ」を出版しました。当初はkindle出版のため自力で出版しました。本作りの経験を誰かの役に立たせることが出来ると考え、一から学んで自分で作業を進めました。発売時期に3000名の知り合いにメールし購読をお願いしました。その結果、amazonランキング1位となりました。そして、仲間のサポートにより紙の本となりました。そのため。国立国会図書館に寄贈し資料として長期保存され後世に残すと目的が強固なものとなりました。


 仕事を労働と捉えるかキャリアと捉えるかでは仕事の選択基準や将来の方向性、可能性が変わってきます。白血病になってからはキャリアを常に意識しました。そして、今があります。


 しあわせです❤感謝


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