見出し画像

12.國部龍太郎 その人とvol.6 -それはとても淡かった-

どっちも欲しい

思えば、僕は昔から選べない人間だった。


「明日は家族揃って久々の休みだから映画でも見に行く?それとも動物園に行く?」
そんな母親の問いにも、
「動物園行ってから映画を見に行って、夜は焼肉食べる!」
と答えるくらい、何かを我慢して楽しみを後に取っておくということが昔から苦手だ。
目の前に選択肢を並べられると「この中で一つだけ選ばなければいけない」という条件を守ることができず、全ての選択肢を満足いくまで楽しまなければ気が済まない。

ただ、僕はそんな自分をワガママだとは思わない。
どちらかと言うと物欲含め、色んな欲は人より少ない方だと思うし、なんなら幼少時に自分から親に何か物をねだった記憶はほとんど無い。

「明日は家族揃って久々の休みだけど何がしたい?」
母親にそう聞かれていたら、
「何でもいい。弟、妹に任せる。」
と答えていただろう。
なので、自分のことは「ワガママな人間」ではなく、ただ「選べない人間」だと認識している。

今回で自己紹介編は一旦のラスト。なので長いです。






高校1年生、思春期真っ只中の僕が「彼女を作るため」に行った3つのアクション。

1.運動部に入るクリア
2.既にモテてるやつを見つけるクリア
3.人を好きになる

「クリームソーダ」を発明した人は凄いと思う。

ジュースにアイスを乗せるだけの単純作業で、飲む者の満足度を100%から120%に引きあげるのだ。
しかも、そのジュースはメロンソーダじゃなきゃしっくりこない。
ジュース単品として一番好きなのはオレンジジュースだが、それにアイスを乗せてもクリームソーダは超えられないし、リンゴジュース、サイダーなんかじゃ話にもならない。

同じくらい人気のメニューに「コーラフロート」がある。
コーラにアイスを乗せた物だが、何故同じバニラアイスなのに「クリーム」と「フロート」で呼び方が違うのだろうか。
(簡単に調べただけでは分からなかったので、詳しい人がいれば教えて下さい)
コーラフロートも100%否定はしないが、僕は断然クリームソーダ派だ。
やはりあの「果汁0%の果実さ」があると無いとでは、アイスクリームとのマリアージュを語る上でレベルが全然違うと思う。

アイスクリームの甘さとメロンソーダのスッキリ甘い爽やかさ。
まったりとしたアイスの食感と、炭酸の痺れる泡感。
漫画の主人公とライバルのように、お互い相反する関係のようで、他に相手が考えられないというくらいにマッチする。
白色とクリアな緑色という、日常生活において他に見ないコントラストが目を喜ばせ、時間の経過でアイスが溶けることにより、何とも言えない淡い緑色となって、最後まで僕らをメルヘンな気分にさせてくれるのだ。

その色のグラデーションは、少女が思春期を経て大人になっていく成長を表しているようでもあり、分別のあるしっかり者の女性が、自分だけに少女のように純粋な笑顔を見せるようになる、男女のお付き合いの経過のようでもある。

クリームソーダと対峙した時は決まって、クリームソーダを注文した時にしか見かけない付属の長いスプーンで、メロンソーダを掬ってアイスクリームに少しかけて、その部分だけを食べる。
好きな女子にちょっかいをかける男子の感覚だ。
そうやってしばらく楽しんだ後に、次はアイス全体を沈めて全身をソーダに浸し、濡れた部分を剥がすようにアイスを食べる。
アイスの緊張が溶けて固さがなくなってきたら、強引にかき混ぜたりかき混ぜなかったり。
後はその時の気分で、思い思いの付き合い方が可能だ。

ちなみに、クリームソーダの上にさくらんぼなんかが乗ってた日には、その魅力は200%を超え、子供ならず全人類の「ワクワク」をギュッと閉じ込めた、一つのアート作品とも言えるだろう。
いずれにせよ、好きで好きで飲み干したくない。
クリームソーダの前では、僕はただただ翻弄されるし、魅了される。






Yちゃんはそんなクリームソーダのような子だった。

純喫茶『モンブラン』にて、T君と2人で待つこと約10分。
鈴の音が店内に鳴り響き扉が開くと、2人の女生徒が入ってきた。

勿論、毎日家から大阪の中心まで2時間以上電車に乗って通学していたので、女子高生は日常的に目にしている。
そのはずなのに、僕らのいる机に早足で近づいてくる女生徒は、天使か女神かというくらい光り輝いていた。
眩しくて直視できないので、僕はとっさに目を背けてエナメルバッグの中を用も無いのにゴソゴソした。

「おっすー!K、髪切った?」
「えー、分かるー?」






!!!???

T先生ぇぇぇぇ!!!

この時ほど人を尊敬したことが無い。
やるやるとは聞いていたけれども、これほどとは。
一生ついていきます」とリアルに思ったのもこの時が最初で最後かもしれない。

それほどまでに、T君が発した第一声は熟練者のソレだった。
同じセリフを言えと言われても、当時の僕だと舌が回らないどころか噛みちぎって勝手に死んでいただろう。
いや、今の僕でもあの時のT君ほど下心も緊張も感じさせず、いたって普通に女の子に挨拶できるかと言われたら疑問だ。
T君と僕とではそもそもの人間が違う。

その「K」と呼ばれた女生徒は、T君のそれと同じように慣れた感じでマスターに軽く挨拶をし、T君の前の席に座った。
僕は何の用も無いエナメルバッグから、向かいのKちゃんにゆっくりと目線を移した。




「女子高生」だ...

気持ち悪いと思われても仕方ないが、当時女性への免疫0の思春期真っ只中少年が抱いた、「女子高生」という存在に対する感想はそれ以上でも以下でもなかった。
人は他人に対してパーソナルスペースを無意識に確保しながら生活しているんだなと実感できるくらい、自分の世界の中に初めて「女子高生」という存在をリアルに感じた。

「Yちゃんこっちー」

時は止まってくれない。
僕の心が落ち着くのを待ってくれるはずもなく、Kちゃんは連れてきた女の子をこちらに呼び寄せた。

「Y」と呼ばれたもう一人の女生徒は、数分前の自分を見てるかのように辿々しい感じで、店内をキョロキョロ見回していた。
Kちゃんに呼ばれて我に帰ったのか、軽く走りながら机にやってきた。

「すごーい!喫茶店初めて来たー...えっ、誰?

その時のYちゃんの僕に向けられた突き放すようなセリフ、驚きと疑念が入り混じった声のトーンは、僕の半紙でできたハートを軽く突き破った。




(えっ...怖っ...)

それが僕がYちゃんに抱いた、初めの印象だった。

後に、僕はこのYちゃんと付き合うことになる。
人生初めての彼女というやつだ。
「彼女を作る」という高校入学時に掲げた目標はこの後無事に達成されるものの、スタートダッシュは見ての通り完全に失敗していた。


一瞬、気まずい雰囲気が『モンブラン』の店内に流れた。
そこからT君とKちゃんはかき消すように説明合戦を始める。

KちゃんはO女学院の中のT君的存在で、気に入った友達を連れてきては僕らの学校や違う男子校の生徒と遊んでるイケイケガール
T君はKちゃんとは旧知の仲、Yちゃんとも既に何度か違う場所で会ったことがある知った仲
YちゃんはKちゃんのクラスメイトで、たまにKちゃんに連れられて男子校の生徒と遊んだりするものの、喫茶店に入ったのは人生初

まとめるとこんな感じで、僕はT君からはこのように紹介された。

「べぇ〜ちゃんは俺のクラスメイトでS高のバスケ部。勉強めっちゃできるから、いつも勉強教えてもらってる友達やねん。」

思えば、僕の中学時代3年間「彼女」は勿論、「友達」もいなかった。
僕が「モテてるから仲良くなりたい」という下心でT君に近付いたことについて彼は知る由もないだろうが、友達とまで思ってくれていたことが、申し訳なさを忘れさせるくらい嬉しかった。
T君は中高時代の僕にとって、初めての友達になった




その日は1杯のクリームソーダで3時間くらい粘った。
初めこそ「今日失敗したら次は無い!」と肩に力が入り上手く話せなかった僕だったが、T君とKちゃんという歴戦の猛者がいたことで僕もYちゃんも引き立てられ、最終的には大盛り上がりの楽しい放課後だったと思う。
ちなみにYちゃんはミックスジュースを頼んでいた。

ここまで書いてまさかと思われるかもしれないが、その後僕がYちゃんとどのようにして付き合うようになったかは、正直なところ覚えていない

そこから先の話は至って普通の高校生の恋愛だったように思う。

彼女もオタク並みにお笑いが好きだったことから意気投合したり。
『モンブラン』からの帰りの電車が一緒で、結構家も近いことを知ったり。
次の日から同じ時間の電車の同じ車両に乗ろうと約束したり。
携帯も持っていなかったから寝坊して電車に乗り遅れないように、いつもより早起きするようになったり。
行きと帰りのちょっとした時間を無駄にしないよう、リストを作って彼女に毎日質問攻めをしたり。
初めてのデートで、待ち合わせ場所で僕からいきなり告白したけど返事は保留にされたり。
難波の商店街を手を繋いで後ろ歩きして、ゲラゲラ笑ったり。
その後はぐれて、3時間後にやっと遭遇して2人して少し泣いたり。
そんな笑顔と泣き顔と真顔のギャップが素敵だなと思ったり。

気付いたら僕らは付き合っていた。






1.運動部に入る→クリア
2.既にモテてるやつを見つける→クリア
3.人を好きになる→クリア

これが、高校1年生、思春期真っ只中の僕が「彼女を作るため」に行った3つのアクション。
勿論、このnoteには書ききれない(もしくは書けないような)失敗も沢山してきたし、自分では気付いていないだけで、彼女を作る上でもっと大事なことがあるかもしれない。
誰の何の参考にもならない、あくまでも個人的な意見であり、体験談だ。

ただ、「3.人を好きになる」は人間関係において今でも強く、僕が大事だと思うこと。
僕に取っての「初めての友達=T君」がそうだったように、「初めての彼女=Yちゃん」がそうだったように、「友達」も「彼女」も人間関係の一つの形でしかなくて、意識しなくても気付けばそうなってるものなのかもしれない
その対象として良い人に出会えるかは自分の言動次第。
あとは手繰り寄せて出会えた人を大事にして、好きになって、好きになられて。

言葉にしなくても、態度だけでも、ちゃんと思えば、ちゃんと伝わる。
それが「人を好きになる」ってことだと思う。






まぁ3ヶ月経たず別れましたけどね。

T君、Yちゃん元気かな。

今回の教訓:友達も恋人も人間関係に理屈はなくて、そこには愛があるだけ

noteのお題のご要望はコメントかこちらまでお願いします。




【あとがき】

これは僕自身も考えていたことなのだが、このnoteをいつも読んでくれている方から「これまでの國部のnoteって大体面白いんだけど、『國部』のことを知らない人は読むの疲れるし(ってか読みたくないだろうし)、面白さは伝わらないんじゃない?」というような、有難いご意見をいただいた。
それもそのはず、これまで不特定多数のnoteユーザーに向けて記事を書いているつもりは一切なく、リアルで僕のことを知っている方、引いては自分の「note書きたい欲」のために書き始めたのだ。

ただ、1週間に1回noteを書く習慣も自分の日々の生活に浸透してきて、気付いたらそのルーティーンに若干の心地よさを感じている自分がいるのも事実。
そして、顔も名前も知らないユーザーさんの「スキ」に少なからず一喜一憂して、そのユーザーさんがどんな人かを見にいったり、最近は記事毎の「スキ」の数の変化を意識しながら書いている。
(勿論「スキ」が多いと嬉しい、できれば押して欲しい)
もっと言うと、三日坊主で終わるかなと思って始めたnoteが、今自分の中で謎のモチベーションを発揮している。
簡単に言うと「燃えている」。

以上のことから、自己紹介「國部龍太郎 その人と」編は一旦このくらいでお休みして、次週からは僕=國部のことを知らない人でも読んでもらえるような内容で書いていこうと思う。
炎上だけには気をつけて、誰も傷つけない、しみじみしっくりな文章を。
(ネタはまだ無いので、1週間で頭捻ります...)

今まで通り自分よがりの文章だけを書いていれば、毎週ネタにも困らないし、人の評価も気にしないで良いのだが、やっぱり欲しがってしまうんだな。
つくづく自分は「選べない人間」だ。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?