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明言したかったこと、それは #読まれないnoteを書こう

先日からずっと心に残っていることがあります。しつこくしつこく残っているので、せっかくだから書き残しておこうと思います。

嶋津さんのTwitter spaceの番組「対話パーティ」で、浅生鴨さんが「未来の自分に興味がない」と言いました。(アーカイブがなかったので、多少言い回しが違うかもしれません)
浅生鴨さんをご存知の人ならおわかりかと思いますが、それは決して絶望的に何かを叩きのめすような意味合いではなく、「未来じゃなく『今』の自分が大切だよね」という意味でした。

ああ、浅生鴨さん。あなたという人は。

「未来の自分に興味がない」
これをはっきりと言葉にできる浅生鴨さんは、なんてすてきな人なんだろう。音声を聞きながら、わくわくした夜でした。あ、でも新刊の「ぼくらは嘘でつながっている。」本のキャンペーンも兼ねていたようですから、これも? まあ、嘘でもいいんです。聞いた私がわくわくしたんですから。

ここ数年、頭の片隅に浅生鴨さんのこの言葉のような感覚がありました。未来の自分なんて、そう興味の持てるものではありません。けんもほろろですが、もしかしたら世の中の大半のおとながそう感じているのでは。でも、世の中は持続可能な社会、すなわち未来に向いていますから、そう思っていても言えないよね。決して、社会を否定するための言葉じゃないんですけどね。自分自身のことですもの。

そして、いくら自分のことでも子どもの前でそう言い切るのは憚られました。文脈の説明をしないと、絶望を与えてしまう危険性がありそうで。キミらの未来、そうだなあ、自分の未来よりはずっとずっと興味あるし、楽しいものであってほしいけど、それよりも今日、今、機嫌よく過ごしているといいなあとお母さんはいつも思っています。

未来の自分にそんなに興味はないけれど、「今」やりたいことはあります。それは機嫌よくやっていきたいです。未来のため、将来のため、仕事のためというよりは、今、やりたいからやりましょうか。そういうことです。

昨年から時間をかけてある勉強をしているんですが、大人になってから勉強していると、周囲からけっこうな数の「なんのために?」という質問を受けます。昨年はあまりに聞かれて辟易したので、それっぽい理由を用意していました。あるとき友人に「聞かれるの面倒でさ」とこぼしたら、「そりゃまあ、聞かれるでしょうねえ」とのんびりと言われました。ほーか、うん。そういうものですよね。
でも、理由を聞かれて答えたあと、ひとは、そんなにひとのことに興味はないものだといつも感じていました。まあ、わたしだって、ひとのこころざしに、そんなに興味ありません。

あるとき、起業して農業関係の仕事をしているひとに会いました。そんなこんなの話になり勉強しているのはこういう理由だと、それっぽい説明をしたあと、なぜか思わず言ってしまいました。
「そんな理由、後付けなんですよほんとうは」
「あ、それわかる。将来どうとかじゃないんですよ。そうしたいからしたってだけで。わたしも同じです。今こうしたいからでいいんですけど、会社つくったのもそうだし。でも『直感』ていうのが面倒で、なんか理由を並べちゃいますよね」
同じにおいを感じたから、言ってしまったのでしょうか。ちょっと、笑いました。

先日、さほど面識のないひとに勉強のことを聞かれたので、思いきって言ってみたんです。浅生鴨さんの言葉を借りました。

「未来の自分に、そんなに興味ないですよ」

ドン引きされました。「今の自分が」ということを説明するじぶんが滑稽でした。あとで思い出し笑いするくらい、滑稽でした。ちっとも面白くないし、スマートじゃない。

わたしのことばとして面白がって受け取ってもらうには、まだ、道半ばです。

すごいなあ、浅生鴨さん。
嘘つきらしいですけどね。


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