大学サッカー864日の記録②

~中学・高校サッカー~

大学サッカーのことをつらつらと書いていこうかなと思ってますが、まずはなぜ大学サッカーをやっていこうと思ったか。やっぱりそれは、高校サッカーでかなりつらい思いをしたからだと思う。なので、今回は中学・高校時代を少し思い出してみようかなと思います。

https://note.com/kuni_226/n/nf9a3a78a87a8
↑最初の投稿です。これをまず読んでいただけると嬉しいです。

中学時代

このころの僕のサッカーを一言で表すと「井の中の蛙大海を知らず」でした。地元の中学ではずっとスタメンでした。でも、中学の部活は地区大会の1回戦で10点も取られたり、たばこを吸っている奴がいて部活動禁止になったりと、サッカーをするのにいい環境とはいえるものではありませんでした。なにより、ダメだったのが自分がチームで点を取ってるから「俺はサッカーがうまい」と思っていたこと。自分って選手としての特徴ないよな。とうすうす感じながらも自分の弱いところには目を向けようとしていなかった。それでも試合に出られたから。でも、あの時は思いもしなかったです。
あのハットトリックが人生最後の公式戦での得点になるなんて。

高校時代

「高校サッカーでもたくさん点を取ろう。進学校だし、余裕で試合でれるやろ。」入学当初は本気でそう思っいた。しかし、僕は初めてサッカー人生で壁にぶつかった。県内一の進学校だったのですが、なんとチームメイトはクラブチーム出身者が多く、全く試合に絡むことができなかった。

3年生が引退し、自分たちが本格的に高校サッカーを始めてから1ヶ月。初めての練習試合で、なぜかSBスタメンで出場した。人生で初めてのSBでした。そして、高校生活最後のスタメン。なんで、SBなんだろうと思っていた。正直、今でもその理由はよくわからない。しかし、次の日から自分の序列はチームの最下層だった。ある日の練習試合で自分より先に出ていたSBが怪我をした。ベンチにはSBは自分しか残っていなかった。しかし、監督が選んだのは1回もSBをやったことがない選手だった。部室に戻って一人で泣きながら決意した。誰よりも練習して、絶対試合に出る。そのとき、うすうす気が付いてはいたけどずっと逃げていた事実「俺はサッカーが下手なんだ。」ということを始めてしっかり受け止めた。
(あの時、練習中に部室で一人泣いている自分の姿を見て、部室に入りかけて、数秒立ち止まり、全てを察して出ていったのは誰だったんだろうと今でも疑問に思っています。笑)

練習試合では常に最後に出ていたし、当然Aチームにかかわることは全くできなかった。後輩が入ってきても状況は変わらず、1年生同士の紅白戦に2年生の自分が唯一出るなんてことは日常茶飯事だった。とても悔しかった。

だれよりも練習した。サッカーノートを毎試合書いたし、だれもやっていない朝練も一人でやった。居残り練習もして、家に帰ってから毎日1km走をやった。しかし、高校3年間で出場できた公式戦は、Bチームで出た試合の途中交代のみ。最底辺だった。「もっと走れるようにならなければ。」「もっといいクロスを上げられるようにならないと。」今思うと、その自分が評価されなかった理由ではなかった。
「頭を使ってサッカーをすること」
これが自分に一番足りないことだった。視野が狭かった。そして、「誰にも負けない走力を身に着けて、相手を圧倒するSBになりたい。」そういう危険な思想が自分の頭の中を支配した。当時は、その思想が自分のサッカー人生を最悪な方向に導くなんて全く思っていなかった。

高校最後の大会のメンバーが発表されたとき、当然のように自分の名前は呼ばれなかった。その直後にたまたま入っていた担任の先生との2者面談でありえないほど号泣してしまった。また、泣いてしまった。その時に、先生に「大学でサッカーもう一回頑張ろうよ。」決意した。絶対、大学に現役合格して、もう一度理想のサッカー人生を取り戻すと。


そんな、挫折だらけの高校サッカーでしたが、その後何と……。
大学に不合格し、浪人生活を送ることになりました…。
次回は、浪人後に大学サッカーを始めるまでを書こうかなと思っています。自分のメモが目的ですが、もうちょっとペースを上げて書こうと思っているので万が一、読んでいる方がいたらそう思っていてください。

↓3回目です。高校サッカーを引退してから、浪人後部活を始めるまでを書きました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?