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武術哲学

今まで約50年武術を通して得たことを武術哲学として書いてます。時々更新していきます。  日々のたわいもないことはFacebookです。

人生編
1.ともかく一歩踏み出してみる。踏み出してみないと結果はわからない。

2.幸せな人生を送る人は幸せな人生を送ることの出来る考え方をしている。

3.不平等、不公平、理不尽に怒りを感じるがそれが世の中であり人生である。理想を追求することは大切であるが怒りを原動力にしてはならない。怒りは自分も他者も傷つけ新たな不平等、不公平、理不尽を産み出す。

4.他者が得をしているからといっても自分が損しているわけではない。

5.正解が解らないと言うのも一つの正解である。

6.人は正解や意義や意味を知りたくなるがなぜ正解や意義や意味を知りたくなるかを考えなさい。

7.生は躍動と共に始まり死は静寂の中に訪れる。

8.自分の欠点を正当化してはならない。

9.相手の言葉や行動に囚われて反応してはならない。
人は考えていること、言っていること、行うことが一致しているとは限らない。

10.叱られる時は堂々と叱られなさい。

11.気づきとは自分のバイアス(偏り)に気づくこと。

12.生も死もない、有る無しではない。仏教用語で言えば空である。

13.人より優るものがあるのであれば人より劣るものもあることに気づきなさい。

14.物事を考えたり語る時にレイヤー(階層)を変化させてはいけない。

15.問題の分離が出来ななければ正解を見つけるのは難しい。
偶然に辿り着いたことを自分の実力と思ってはならない。
偶然に正解に辿り着いても次に正解に辿り着くとは限らない。
16.悩むことと考えることは違う。

17.あなたにとって悩み、不安、恐怖は必要ですか?不用であれば捨てなさい。

18.他人や過去の自分と比較するのではなく今の自分を前提に考える。

19.勝ち負けに善悪はない。善悪を決めているのは主観(自分自身)である。
20.夜空の星の光も私には今の光だが光は何億年も過去の光です。光にとっては私は未来である。
21.成功より失敗した時の方が有益な学びは多い。

精神編
1.武林是一家、武術をする者は皆家族、皆兄弟です。初対面の人でも接する時には互いに利他の精神で接すること。
なぜなら武術は人を殺傷する術です。利他の精神を持たなければ気狂いに刃物と変わりません。

2.敵とは何か、敵とは相手を敵と認識する己の心である。

3.武術、武道の試合とスポーツの試合は根本的に違う。
武術、武道は護身の為に生まれ、スポーツは余暇を楽しむ為に生まれた。
 武術、武道の試合は読んで字の如く日々の鍛錬した心技体の試し合いである。スポーツの試合は楽しく余暇を楽しむのが目的である。
 よって武術、武道において負けることで多くのことを学べるが勝ちには負けほどに多くのことは学べない。
 スポーツにおいては負けるより勝った方が喜びは大きい。

4.勝負の結果は勝負に臨む前に決まっている。朝起床した時、前夜就寝した時には決まっている。

5.己の心の変化、動きに気付けなければ、相手の心の変化には気づけない。

6.育てるとは伸び代を育てること。

7.通知表で言えば、5とか4の人を指導することは容易いが継続させることは難しい。3とか2の人を根気よく指導することが大切である。1の人にはその人が3とか2の能力がある道へ進ませあげることが大切である。

8.練習とは昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分に向けての努力。誰かに勝つための努力ではない。

9.試合の相手に礼をする意味
試合とは日々の鍛錬した心技体の試し合いである。
その試し合いの相手をしてくれた人に礼を尽くすのは当然である。

技術編
1.上手く成るには練習は基本九割、応用一割を続けること。

2.相対演武(対練表演)は後の先で見せた方が素人受けをするが武の本質は先の先、先にある。

3.蹴りは手の内、突きは運歩と共にある。

4.上手く成るには練習は基本九割、応用一割を続けること。

5.相手の突き蹴りを決めるのは相手ではなく自分である。

6.硬い部位は柔らかい部位で打ち、柔らかい部位は硬い部位で打つ

7.級段位
級の間は基礎練習、
初段二段では基本の習得
三段四段では己の得て不得手を知り、自分の十八番を作る。
五段六段では無駄を削り取る。
七段八段では人間性を高める。言い換えれば七段八段までは善悪や意義だとか考えるのではなくともかく練習に励みなさい。

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