見出し画像

空蝉~源氏物語より

「空蝉」と呼ばれたその女性は、源氏にとって浮気相手と言うよりは、一夜の遊び相手に過ぎないはずの人でした。けして美人ということはなく、体つきも小柄で控えめな雰囲気の女性でしたが、しかし、結果的に彼女は、源氏にとって生涯忘れられない人になったのです。

光源氏17歳、やんちゃ盛りといった年頃でした。4つ年上の妻とは上手くいっておらず、慰めを求めてでしょうか、たまたま泊まっていた下級貴族の屋敷で、こっそり女性の部屋に忍び込み、半ば強引に契りを交わしてしまいます。彼女は家主の父親である男の、年若い後妻でした。

その後、何度も言い寄ってくる源氏を、空蝉は拒むことしかできません。人妻なのです。いかに源氏が魅力的であっても、事をひた隠しに隠し、恋心は封じ込めるしかありませんでした。

空蝉は元々は上流貴族の出身でしたが、しかし、父は他界。後ろ盾を失った空蝉は、幼い弟を連れて、年の離れた男の元に、後妻として嫁ぎました。中納言の娘だったのに、貴族とはいえ身分の低い受領の妻になってしまった空蝉。年老いた男に引き取られたも同然の境遇です。夫は空蝉をとても愛していましたが、空蝉からすると、望んだ結婚でなかったことは言うまでもありませんでした。

世間で光る君と噂される男性に求愛される。しかし、空蝉は舞い上がることなく自分の立場をわきまえた態度を取ります。「もしも自分の父が生きている時に出逢えていたなら、どんなに嬉しかったことか」それが空蝉の思いでした。深く想われても、身分が違う、立場が違う。彼女からにじみ出てくる憂いのようなものに、源氏は心惹かれたのかもしれません…。

想いを抑えきれない源氏は、夫が留守の夜を見計らって再び空蝉のもとへ忍び込み、逢瀬を図ります。空蝉は賢い女性でした。真夜中に突然立ち込めた芳しい香りに、源氏がやってきたことを悟り、まとっていた薄衣を一枚残して、寝所から滑り逃げてしまいました。後に残された衣を持ち帰り抱きしめる源氏。「空蝉」と彼女が呼ばれるのは、この出来事が由縁です。

後に、夫が亡くなったあと、先妻の息子が自分に下心を抱いているのを悟った空蝉は、それから逃れるために出家して尼になりました。源氏は空蝉のことを忘れることがなく、尼になった空蝉を自身の別邸に引き取って住まわせ、妻たちに正月の衣装をそろえた際には、空蝉にも自ら衣を選んで贈っています。

拒んだからこそ深く想われて互いに忘れられない。そんな恋もあるんですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?