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人を育成することなんてできない。できるのは、自由に泳ぎ回る金魚になることくらい。

毎日すさまじい暑さ。ただ、朝だけは少しマシで影で夏の風を感じる。

こういうこと書いてる人、みんな丁寧な生活してるんだろうなー僕とは違うなーって思ってたけど、これもしかしたらそう思ってねーとやってらんねーよ!的なだけかもしれない。暑いんだよ暑い!おしゃれに言い換えて耐えるしかない!みたいなみたいな。

読んでくれる皆さんに少しでも冷をプレゼントしようかと思ったけどそんなことができるわけもなく今日も筆をとる。


人を育成する。基本的には僕はできないことだと思ってます。誰かが誰かをコントロールすることなんてできるわけないし、相手の学習経路がこっちの想定と同じものなわけない。仮に目の前の彼ら彼女らが成長したなら、それは彼ら彼女らが勝手に学んだだけ。そんなふうに考えてます。

ただ、だからといって人に対して教えること、育成の仕組みを考えることが無駄だとは思ってなくて、その姿勢のまま、「でも、もしかしたら少しは…」みたいな感覚でそこにチャレンジするわけですよ。

最近だと、起業家の子たちにビジネス戦闘力を身につけるためのOJTみたいなことをやってます。自分の事業ドメインのインプットやスキルセットは各自勝手にやったり身につけたりするんですが、実地とサンプルがいないと身につかないビジネスの妙みたいなやつは、実地の機械の少ない、サンプルの数の少ない地方だと中々に厳しい。そこをできたらなとは思うわけです。

いうなれば「当事者意識」「相手意識」「量と質とスピード」「一人での仕事の仕方とチームでの仕事の仕方」。こういう言語化しなくても、経験と諸先輩方を見てたら学べるようなことを学ぶ機会がないままくると、びっくりするような大きなチャンスを逃したりする。流石にそれは惜しい。惜しすぎる。

余談ですが、『クリエイター1年目のビジネススキル図鑑』(KADOKAWA)は、クリエイターとか書いてますが、起業家志望の方も読んだら絶対学びあるように作りました。まずここ抑えよ、的な。

んで、OJTの子一人に向けてテキストを作ってたら軽く5000字を超えました。そしてかなり具体例をも使って書いたので他の人が見てもわからないところも多いだろうけど、どんどん拡散されて、他の会社のオンボード用の資料になりました。びっくりです。ただ、テキストでわかりやすく情報をまとめるのはもうAIでもなんでもできる世界で、どれだけネットに転がってない血と汗の通った具体的な話を入れられるかが重要なんだろうなーって感じるいい機会になりました。どっかでもうちょっとだけ言葉選んで公開してもいいかもしれません。


今、岡山で学生向けアクセラをつくって、今日から募集を開始しました。これを作ってる時に、アクセラとはなんぞや?それを学生にする意味とは?みたいなことを散々考えたのですが、結論「薄い膜を壊すこと」なんじゃないかってのが現時点での答えです。

ちょっと例え話をしましょう。
水槽に金魚がいます。水槽の真ん中に透明のガラスケースで仕切りをすると、仕切りにガンガン当たってた金魚は仕切りを取った後も、半分から先に進まなくなります。そんな水槽に新しく金魚を入れると、新しい金魚は自由に泳ぎ回ります。当たり前です。仕切りなんてないんだから。そんな新しい金魚を見て、前からいた金魚も再び自由に泳ぎ始めます。

僕らって子供の頃はとても自由で、とりあえず全力でいろんなところにぶつかりまくってました。だけどそれがいつの日か、親や先生の言葉で仕切りがなされ、学校というものが自分と社会との間に入ってきました。無意識に、僕たちは薄い膜に囲まれてます。

社会人になった人ならわかると思うんですが、「あーそんな膜、本当はなかったんだな」って気付くタイミングがきます。それが大人になるってことなのかもしれません。もうちょっと段階を刻むと、一人暮らしの時に感じたり、彼氏彼女ができた時に感じたり、なんか色々あるんだろうと思います。

で、さらにこれ起業すると感じます。自分と社会の、いやもっというと自分と世界の間に勝手に膜作ってたなーって。ないんですよそんなもん。初めからない。でもあると思い込んでる。勝手に自分で自分を制限してる。

学生にいきなり起業させるのって、本人がしたいならともかくちょっと乱暴だなって。もちろんこの薄い膜のようなものを感じてもらうために有効な手段の一つであることはその通りなんですが、誰かにさせられた、ある種コントロールされた起業はまた新たな膜を産むだけだったりもします。じゃーどうするの?って答えが、膜なんて初めからないように泳ぎ回る金魚、もとい、そういう同年代の友達に触れて、しゃべって、わらって、チャレンジなんてかしこまった言葉じゃなく勝手にチャレンジングだねって言われちゃう彼ら彼女らを体感すること。そうなんじゃないかって思ってます。だから今回そんな形で。


もちろん参加してくれる新しい金魚の彼ら彼女らも悩み、葛藤し、動き回り、傷だらけになってます。これが正解だーって押し付けをして欲しいわけじゃありません。彼ら彼女らにもまた「見えない膜」があるんだと思います。けど、種類の違う膜が混ざり合うことは、その存在を溶かします。彼ら彼女らにもなんかそんな機会になったらいいななど老婆心ながら僕は思うわけです。はい、ちょっと暴露しすぎですね。でも本音です。


人の育成なんてできない。
じゃー僕たちにできることってなんなんでしょう?

それは場面を用意すること。彼ら彼女らだけだと作りづらい状況を作ること。そして伝え続けること。育成しようなんて驕ったこと考えじゃなく、僕はこう思うよ!思うんだよ!!って叫びをただ伝え続ける。案外そんなことしかできないんじゃないかなーと思いつつ、それに挑戦するのは自分を豊かにするななんて感じました。はい、今日はこんな感じでおしまい!がんばろ!


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頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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