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「好きなこと」の見つけ方と、「好きなこと探し」の抜け出し方。

こうしてnoteを書くようになってももちろんバズったりはしないわけで。ただ、ちょっと今までと違う変化があった。それは、文章が好き、美しい、かわいいと言われることである。今までも褒められることはあったんですが、その褒められ方はわかりやすい、内省すごい、たしかに、みたいな感じでどちらかというコンテンツを褒められてたのに対して、最近のは文章そのものというか、音楽性みたいなものを褒められているように感じる。特におもしろいのがそうして褒めてくれる人が、僕自身この人に褒められたら嬉しいなーって人たちだったりするところ。しっかりスクショを撮って「褒めリスト」に保存させていただいております、ありがとうございます。

さて、これだけ「他人の目なんて気にしないぜ!」ムーブをしておいて、その人たちの評価は嬉しいんかい!って感じなのですが、嬉しいのですよ素直に。その嬉しさは仕事の成功で褒められることより圧倒的に高いのです。不思議ですね。ここで「本当は嬉しくないやい」とか「嬉しがっちゃ承認欲求の虜だ」みたいなのはよくない。だって現に嬉しいんだから。まずそこ。いっかい受け入れるの大事。その上でなぜ嬉しいか、ですよ。

でも一旦それは置いておいて、「承認欲求」ってものとちょっとだけ対峙する。なんとなく良くないものとして扱われることが多いこいつ。果たして本当に良くないのか?

Xのいいねとかを求めて、自らの行動を変えるとするとあまりよくなさそう。友達はこれを「他人軸で生きる」と表現していた。なるほどね。他人の判断軸で生きるとそりゃ苦しくなる。だって、あの人(たち)がいいっていうからと、自分がいやな行動もしてしまうわけだ。これは究極他者にコントロールされ続ける人生。簡単にいうと、死ねと言われたら死ぬことがいいことになる世界線。うん、あまり幸せではなさそう。

一方で、まず自分のが好きなことをやる。それを他者が評価する。そしてこの評価を喜ぶ、ならどうだろうか?これはとても健全な気がする。まず、自分軸での判断があり、その後他人軸での評価が入る。うん、よい。

じゃあ、「他人の評価なんて一切気にしないぜ」はどうだろうか?
これは厳密には無理なんじゃないかなー。たぶん、そう言ってるだけで、というか、そう言ってる時点で結構気にしてる。社会性の生き物である僕たちが、他者からの評価を完全に捨て去るのはおそらく不可能。できる人はほんとにちょっとサイコパスみがある気がする。

とすると健全なのは、まず自分の好きとかいいなとかそういうのに素直に殉じること。その上で、評価の土台に上げるかどうかを選ぶこと。そして、心身ともに健康な状態でその評価を受け取ること。この3段階を踏むのが大切そう。

高校生の子達と話すときにこれは明確な違いとなって現れてるなと感じる。一人の子は、まず自分が知りたくて知りたくてたまらないことを調べて、それを発表して、プラスもマイナスも受け止めて、よりよくしていってる。もう一人の子は、よいとされるものをやって、誰からも見向きされないとすぐやめる。または誰かから評価されると、次は評価してくれとばかりにその活動を口にだす。全然違う。この二人は客観的に観ると、アクティブにいろんなところに出て行って大人とも対等に喋っててすごいねみたいな感じだけど、その実、後者の子はたぶん何も楽しくない。みるみる消耗していく。一方前者の子は、いついかなるときも楽しそうだ。エネルギーが増えてるのを感じる。

教育論なんて言うつもりはないけど、どうせなら前者の子みたいになったほうが生きやすいのになーとは思う。とするならばまずは「好きなこと」だ。そうして「好きなこと探し」という迷走に人は入り込むのであった。おもしろいことにこれは大人でも子供でも一緒で、なんなら僕も最近までずーっと探していたような気がする。この「好きなこと」というやつを。過去の興味があったことはなんですか?10億円もらったら何しますか?そんな質問にいちいち真剣に悩み考え答えを出し、そしてその答えが気に入らなくなるっていう一連のセンテンスを繰り返す。何か進んでいるような気もするし、何も変わってないような気もする。おそらく何も変わってないんだろう。

そんな「好きなこと探し」にいくつか抜け感が出たタイミングがある。その1つは、「好きなことと価値を切り離す」である。こういう質問するとわかりやすい。

「ゆっくりお茶を飲みたい」は好きなことに含まれますか?

これをNoだと思って好きなこと探しをしてもきっと一生見つからない。なぜなら、これをNoという人は無意識に「好きなこと=価値あること」という呪縛に囚われてるから。苦しいよー。この呪縛は苦しい。普通気がつけないもん。だから、「好きなことは、誰かを笑顔にすること」とかになっちゃう。そりゃ目の前の人が笑顔になってくれたら嬉しいよ。でもどちらかというとそれもらってるからね?相手が笑顔でこっちを幸せにしてくれてるだけだから。別に好きなことでもなんでもなく、気持ちよくしてもらってるだけだから。

就活とかで「笑顔にしたいです!」「助けたいです!」「支えたいです!」みたいに言ってる人、全員まず自分満たしたほうがいいです。他者を幸福にすることでしか自分を満たせないのは、自分をめちゃくちゃ消耗します。NPOとかの非営利セクターにも多いのですが、他者は自分を満たすための道具じゃないですからね?まず自分が満ちてください。NPOとかで自分が満たされた上で、思わず溢れ出しちゃう形で行動している人と、自分を満たすために、不幸な人を利用している人(本人自覚はないかもしれませんが)、一瞬でわかります。そして前者は続くけど、後者は5年でいなくなります。ほんとに綺麗さっぱりいなくなります。まぁ自浄作用があるって意味ではいいことなんですが、だいたいその人たちはその後アンチNPOみたいになるのであまり健全ではないかな、やっぱり。

でで、つまり、好きなことは価値ないことでもいいんですよ。日向ぼっこするとか、河原で足をぺちゃぺちゃするとか、仲良い友達とお泊まり会するとか、そういうのもokなんです。まずそれ。忘れてませんでした?あるんですよ普通に好きなこと。それ全部やってください。今から幸せですよ本当。好きなことだらけなんだから。

そしてこれは当然「好きなことは、仕事、お金と無関係でいい」んです。当たり前ですね、価値と切り離されたんだから。すぐみんな好きなことを仕事にしようとする。なんないから。というかしなくていいから。仕事は仕事、お金はお金で別に考えよう?

「好きなことで生きていく」は、いいことなんですよ。とてもいいこと。目指すのもok。でもそれって、「好きなことでお金を稼ぐ」とイコールじゃないから。切り離そう。これ切り離せるだけで一気に進むので。一回ゼロから考えよう?

ずっと好きなことだけしたい→ok
じゃあ好きなことでお金が稼げたら最高では?→まぁok
好きなことで稼がなきゃ→×。圧倒的×。

好きなことでお金稼げたらまぁいいとは思うんですよ。でもこの「いい」って中には自分の頑張ってることが認められたって気持ちの方が大きいと思います。だから好きなことの値付けの時、正直いくらでも嬉しくなっちゃうから、全体的に安くなっちゃう。そして生活苦に。好きでやってたはずなのに、、といいつつ苦しむわけです。これは、好きなことと稼ぐことをくっつけすぎた末路ですね。


じゃーどうすればいいの?って話だと思うんですが、これはもう簡単なんです。と、いいつつようやく辿り着いた感じなんですが、多分これ以外ないかなと。それは「生きてる時間を好きなことをしている時間だけで埋める」です。単純ですね。朝起きてから寝るまで、好きな時間だけで埋めてください。ポイントは、何かを達成したいとか、成功したいとかそういうのと切り離して、普通にやってて楽しい時間で埋めることです。

僕の場合は、こうして「ただ書く」時間がとても好きなので、それが午前中、あとは散歩が好きなのでその時間、ちょっと刺激が欲しくなちゃう時があるからたまに飲み会とかMTG、家族と笑い合う時間、新しいことを何か試してみる時間、何かつくってみる時間、漫画読む時間、二度寝する時間、みたいなのが好きな時間なのでそれで24時間埋めてます。おかげでずっと楽しいです。ずっと好きな時間を過ごしてます。やばいです。幸せです。あんまり言い過ぎると怪しいかもですが、ほんとにそうなんですもん。昔の自分に教えてあげたいほんとに。これだぞーーー!!!って。成功とかで嬉しいのは一週間くらいだぞー!!って。成功とかって目指してるその時の方が実は何倍も楽しい時間だったぞーーー!!

これができたら、この好きなことで埋めた24時間をやり続けるためにどうやれば叶うかを真剣に考えます。これに答えが出たら終了です。好きなことだけして生きていく人生の完成です。もちろん簡単じゃないですけど、たとえば文章書くのが好きだったら「ライターになるしかない」みたいに職業にしてしまって、そこで単価5万円みたいな苦しすぎる生活で、「でも好きなことやってるしな、、」みたいなことがなくなります。

ちなみに余談ですが、僕も文章書くの好きだったのでライター的な仕事もやってみたのですが、びっくりするくらいつまんなかったです。最低でした。こんなに誰かにインタビューして書くことに興味なかったんだって。衝撃でした。楽しさを全く味わえなかったです。でも当たり前ですよね。僕が書きたかったのは、今書いてるみたいなこういう文章なんだから。これライターって仕事が好きな人の対極くらいにあるような気がします。「文章で稼がなきゃ」とかの呪縛に囚われてるとこんなにことにも気がつけないんですよ。


今の生活を守るためにお金が必要だって思いがちなんですが、そしてそれは今の社会だと一定その通りなんですが、もうちょっと実は自由度が高いものだったりします。次回はその辺り書けるといいな。





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頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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