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わたしの目をあげる

わたしは散歩が好きだ。歩きながら周囲をながめると、わたしはわたしではない感覚を覚える。

散歩はわたしを他者にしてくれる。周囲の人の視線を追うと、さまざまなものを見ていることに気づく。鳩や猫、犬たちの視点はさらに異なる。

地面に近づく

動物だけではなく、植物や建造物の気持ちを考えることも楽しい。ビルのガラスという目に映るわたしは、わたしが考えているよりも姿勢が悪い。ビルの目がわたしの背筋を伸ばしてくれる。

街中の散歩では、景色を切り取る視線を大事にしている。それは色や構図、デザインなど視覚的なもので、歴史は意識しない。

観光では、「意味ある」場所が尊ばれる。大勢が「意味」を求めて群がり、「意味」づけられたものを持ち帰る。

わたしの散歩は「意味」を求めない。わたしの目が「何だか良いな」と感じた景色を切り取るだけだ。

ビルの照明が宇宙的?

面白いことは、わたしが「意味」のない場所を撮影すると、他の人がふりかえることだ。彼らはわたしの目を通した景色を見て、気に入れば撮影することもある。

そのとき、彼らは「意味」を求めていない。何だかわからないまま、感覚的に景色を受容する。それが世界を共有する感覚かもしれない。

渋谷駅にて

散歩は楽しい。ぜひ、歩きながら世界をあなたの視点で切り取ってほしい。その景色をわたしは見たい。

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