珈琲とピザ

『流浪の月』
電車でふと目に入った背表紙にそのタイトルがあった。見たことのある表紙に、よく知った『流浪の月』という文字。ああ、この人は凪良ゆうさんの『流浪の月』を読んでいるのかと実感するのにそう時間はかからなかった。
本屋大賞を受賞したこの作品は、広瀬すずさんと松坂桃李さんらが出演し実写映画化ともなっていた。私がこの作品を読み耽ったのは、ちょうど新型コロナが日本で流行し始め、緊急事態宣言が発令され、前に勤めていた会社が在宅勤務を導入したばかりの頃だった。
更紗という女の子が過ごした少し不気味でどこか愛おしい、放浪のような日々。幸せと自由を追い求め、自分がありのまま生きていけるように奔走する姿が、しっかりと描写されている。この作品は更紗と、更紗をじめじめとした陰鬱な場所から引き上げた文の二人を中心に広がっていく物語だ。
この作品を読んでいて思ったのは、他者からすれば罪であって決して赦されることではない出来事に捉えられていたとしても、当の本人からすれば救いであり誰にも汚すことの出来ない尊い思い出であるということだった。
私達はいつも一方的に状況を把握してしまい、その物事の本質までには、理解が及んでいないのではないかと感じた。誰にでも優しくあるということは、時に文のように、更紗にとって、雨宿りとなる場所を提供することでもあり、更紗が母と父との記憶をなぞることの出来る時間と空間を、提供出来る存在になれるかどうかなのかもしれない。
私にとって『流浪の月』という作品は、私自身の過去とも向き合うチャンスをくれた大切なものとなった。というのも、これまでの時間を思い返してみると自分には反省すべき事が多くあるなあと後悔と懺悔の気持ちに駆られたのだ。色んな傷つけ方をしてきたことに対して、謝りたい気持ちにもなった。ごめんなさい、ごめんなさい、と。
過去はどうすることもできないが、未来で清算することは出来る。未来をどうするかは、優しい記憶が教えてくれるのだ。更紗が、彼を選んだように、誰かにもらった大切なことを、噛み締めて反省し、顧みては、次に活かしていく。そうやって年単位で人生は進んで、しわくちゃのおばあちゃんになった時、これで良かったなあと思えるようにはなりたい。
ごめんなさい、傷つけて。
ごめんなさい。

そして、ありがとうございます。
を折り重ねながら。

文は更紗を家に招き入れ、彼女が望んだことをなるだけ叶えてあげた。更紗にとって文は何年経っても失った愛情を呼び起こしてくれる大切な存在で、それは恋愛とはほど遠く、けれどもどこまでも果てのない愛でもあるように思う。

凪良ゆうさんの言葉選びや表現や文章そのものが、この作品の持つ世界観全体に共通する優しさを十二分にあらわしている。
また、読みたくなる。
何度も。
足が止まってしまったとき、過去と対峙しなければいけなくなってしまったとき、未来が不安なとき、なにかに怯えている時。人は誰しもが完璧とは程遠い。弱さや鬱々とした心を持って生きている。みんなある程度不幸であり、みんなそれぞれが幸せをかんじてる。
浮かぶ月を眺めては、更紗と文の旅路を思う。流浪の果てに、たどり着いた二人はきっと、お互いを尊重しながら、何か後ろめたくなってしまった真実を背負い生き抜いていくのだろう。
私は流浪の果てに、一体どのような終着点が待ち受けているのかは分からない。けれども、いつまでもありのまま自由に、そして大切な人のことをたいせつな存在を目一杯に慈しみ、愛していきたくなる。

『流浪の月』また、読みたいな。よもうか。

#わたしの本棚

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