久しぶりに俳優をしてみて 森圭佑活動報告

どうも、森圭佑です。

888企劃 《不思議の国のアリスの》帽子屋さんのお茶の会
作別役実

お越しくださった方、応援してくださった方、関わってくれた方、本当にありがとうございました

新型コロナにまつわる諸々のおかげで、今年の活動予定がぐっちゃぐっちゃになっているなか、奇跡的なタイミングで劇場でお芝居ができたこと、誰かに観ていただけたこと。ほんとうに感謝しております。

久しぶりに俳優をしてみて、というタイトルに沿ってつらつら書いていきたいと思います。チョコミントアイスでも食べながら書くので、チョコミントアイスを食べながら読んでください。あっ、うそうそ。

さて

こんなタイトルだけど、じゃあ、実際に森圭佑って俳優という役割で劇場にいるの久しぶりなん?と、自分自身思っているんですけど、どうなんでしょうか。

時間という感覚は感じ方が人それぞれなのでツッコミもあるかとは思いますが、コロナの影響で3月~6月(今でもやるやらないの決断はどちらも断腸の思いでしょう...)の公演は軒並みなくなりましたから、単純に3ヵ月ぶりの舞台で久しぶりという方もいらっしゃると思います。
くものしたは年三本の公演を企画することを目標にしているので、自分が出ることになれば単純計算で4ヵ月に一回舞台に立つことになります。毎公演久しぶりや...と感じる可能性もありますね。
まあ、だいたいは、準備期間がたっぷりあるので、日々演劇漬けで久しぶりなんて感じている暇もありません。

そして、僕が前回舞台に立ったのが11月のくものした公演ですから、だいたい8ヵ月ぶりの舞台となったわけです。
ひゃー、久しぶり!

でも、1年に1本という人もいるでしょうからね、わかりませんね。

んで、
ほんとうに話したいのはここからなんですけど、
森圭佑は実はもっと前から舞台に居なかったような気がするんですよ...

そこにいるけど...いない...

いや、怖い話ではないんですが、

今まで、舞台上で生き生きと役と世界を楽しめていたのかなぁとふと思ったんですよ。

くものしたの公演はなるせなるきよ(森圭佑のもうひとつの名前)が作・演出ですし、客席の案内とかもやっちゃうし、そういう肩書きのもと劇場で生活をしてしまうので、まあ、はっきり言って俳優として過ごす時間が少なく余韻とかに浸れないまま(カッコ悪く聞こえますが)いつのまにか終演しているなんてことがよくあります。

まだ団体活動の日も浅くノウハウが確立されきっていないのも問題ですが。

今回小屋入りして、久しぶりに「あー、俳優楽しいなぁ」とふと思ったんです。思う余裕があったんです。純粋に俳優という肩書きだけを持って小屋入りし、千秋楽を迎え、打ち上げを楽しんだんです!!かる~~い!!ありがとう~~

思い返してみれば、今までほんとうに余計な肩書きを勝手に自負して劇場に居たなぁと。

そういう癖をいままでずっと抱えていました。

クラスで一番になりたい、とか、
新人の、とか、
あそこの研究所を卒業した、とか、
主宰の、とか

他者がどう見ているか以上に、自分で勝手に虚像を大きく作ってきていたなぁ、と。楽しめてなかったなぁ、と。

じゃあ、久しぶりに楽しんだ演劇はいったい、いつぶりなんだろうか...??

怖い怖い...

あと、俳優から逃げるように、作・演出をはじめたとき悲しそうな顔をして「俳優はもうやらないの?」と聞いてくれたよく観てくれている人たちからの「うれしい」を久しぶりに聞けた気がしました。

紆余曲折しながらも、俳優という肩書きを落書きなしに綺麗に磨いて背負っていたいな、と思い直した最近でした。

なぜそう思えたんでしょうか。
ぼくは、別役実作品にあると思います。

登場人物が、肩書きなんですよ、
使者、通訳、市町、魔女、人の名前で人物を書くことがとっても少ない作家さんなんです。

別の作品でも男1、男2、女1、女2、みたいな書き方をしていることが多いです。

面白いのが、アリスが「私がアリスよ!」と怒っちゃったりするところなんですけど、アリスがアリスって固有名詞としての名前ならとられるわけが無いのだから通訳に対して怒るの、あり得ない不条理なんですよね。

でも、怒る。アリスって名前を肩書きとしてしまえば、肩書きは名乗れてしまうし、そう認識することも容易いから。

演劇パワーなんですけど、

森圭佑が、「はい、僕が使者です」と名乗ってしまえば、ひとまず、それを聞いたみんなは僕を使者として観るんです。

森圭佑がめっちゃ癖の強いやつでも、

癖の強い使者、へたっぴな使者、アホな使者、不憫な使者。最悪、使者っぽくない使者と、○○な使者として受け入れてもらえるのです。

固有名詞を名乗るとそうはいきません。誰もが知っているキャラクターを演じる場合は、誰もにその先入観がありますから、そう見えるようにしなければいけないのです。

つまり、森圭佑を隠したり、棄てたりすることも場合によっては有り得るのです。
実際にそういうことを要求されることもありました。
これは、楽しくできる時も苦痛な時もあります。

さておき。
使者という、この、すこし大きい主語が森圭佑を森圭佑のまま使者にしてくれていたのではないかと考えるわけです。もちろん、普段の日常では絶対にやらないこともやっていますが。

まとめると、

今回、ぼくは、使者をやる俳優の森圭佑。というシンプルな肩書きで他のことをとっぱらって劇場に居られた。というお話でした!

まとまってんのかな。
わかりませんが、こんなところにしておきます!

コロナ自粛後、俳優としての活動もぼちぼちやらせて頂けていて、
6月はCMのエキストラをしたり、8月も舞台出演の予定が決まっています。

俳優でいたい気持ちがとっても強まっている今年は、いつも応援してくださっている方へなにかお礼の気持ちが伝えられたらなーと考えています。

ありがとうね。へへっ。

また、活動報告をさせて頂きます。
かみんぐすーん。

森圭佑

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