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これまでの旅⑴フィリピン

海外めっちゃ行ってるイメージとよく言われるのですが、、、せっかくなので簡単にまとめておきます。

自分で決め、計画を立て、自分のお金で行った海外経験だけにしておきます。

前の記事にある、高校卒業後の5ヶ月北インドのラダック滞在(2015/6~11)後から。

フィリピン (2016/1   1ヶ月)
「自分で企画する自分のためのスタディーツアー」ってことにしておこう。思いがけず早く合格通知がきたため早々に受験生に終わりを迎えた私は、翌日に予備校をやめ、この時間何に使おう!これはどこかに行かなければ!と思い、たまたま家の電話機の横にいつも置かれていたパンフレットを思い出す。これがきっかけになり行き先がフィリピンに決まった。

①マニラでソルトパヤタスのツアーに現地参加。いろんなドキュメンタリー映画で見ていたスモーキーマウンテンをこの目で見、その近くのスラムで暮らす方を訪問したりなどする。貧困のままでその状況を仕方ないと思ってしまうことが問題で、どんな環境でもそれを変えていけると信じる力をサポートする、というお話が印象的(と日記に書いてある)。

②スービックのWISH HOUSEで訪問ボランティアとして滞在。これが行き先を決めたパンフレットのところ。助産院と子ども達の学校・出張授業などをされていて、経済的な理由やそのほか一般的な機関を使えない事情を抱えた人の受け皿になっている。経済的な制限だったり、家族の問題だったり、「あたりまえ」であることの難しさだったり、生の課題感の片隅を見ると同時に「人」のたくましさをビシビシと感じた。アエタの子たちのエネルギーやごみ山であった子たちの無邪気さ…違った雰囲気はあったけど思い返したらみんなすごくエネルギーに満ち溢れてたな。

③イフガオ。受験勉強中に地理の授業で地図帳で見つけたコルディレラの棚田。ほぉ〜こんなところに棚田あるんだぁ…いつかいってみたいなぁ。と思った数ヶ月後にフィリピンに行くことが決まり、それならばついでに棚田に行きたい!と決めた。そうしたら、WISH HOUSEでのつながりから現地での活動を主導されている方に直接お世話になることに。世界遺産になり、人が訪れる一方で棚田の管理や水の問題が起きており、水の浄化や植林活動が行われていた。そんな取り組みのことを聞かせていただいたり、田植えに参加したり、現地の伝統(米のつき方や織りなど)について教えてもらったり。かつて日本軍がいたところでもある。

④ミンダナオ島のミンダナオ子ども図書館。都市での貧困について理解を深めたかったわけだが、それを考えていくと地方を知らざるを得ないよなと思ったところから色々調べて行き着いたのがここ。日本出発数日前に連絡し、受け入れていただいた。紛争や経済的理由から教育にサポートが必要な子の支援、加えて家族と暮らすことが厳しい場合は生活場所も提供している。生活場所というよりはコミュニティであり大きな家族。色々なバックグラウンドを持った子がいた。あたたかかったな。

まとめ:小学校低学年の時のヒーローはマザーテレサ、ナイチンゲール、ジャンヌダルクだった。高校の時国際協力に興味があった。だが協力したいその土地を自分はリアルに知らないと思って進学ではなく旅することにした。ラダックではもちろん現地の課題も見たけど同じくらい日本の課題も感じた。フィリピンでの“ちょっとづつつまみ食い国際協力を知る”1ヶ月はその後の私を直接的にその方向に導かなかった。今でも何故だろうと思う。あれだけ小さい頃から「誰かのためになること」に惹かれていたのに大学での学びには繋がらなかった。
ー改めて考えてみて仮説ながら言えることー
・知りきれなかった(本当の意味でのリアル感がなかった)
・コミュニケーションに苦労していた(素直に自己開示して素直に相手を知ろうとする気持ちも経験も当時はあまりなくて知りきれずリアル感がなかった)
・一人だったから落とし込みきれなかった(現地で会う人はいたけど同じ立場で同じ経験をしている人がいなかったから考えを深められなかった)

目的と結果だけについて総じて言えば、本気で向き合わなかった、本腰を入れるに至らなかったということ。一方で人の強さとかコミュニティのつながりが印象的だった。十分にではなかったが間違いなくリアルなイメージはもてたことはたしかだ。

ちなみにそれ以外にもマニラでは夜に外出てこけてざっくり膝小僧を切る、イフガオは寒くてしんどい、初めて鶏をしめる、ミンダナオでは謎の悪霊事件などなどいろんなことがあった…。

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