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「自責」は人と心の状態を選ぶ

 会社に在職していたある時期、上司から「自責で考えること」とよく言わ
れていた。その言葉に納得できなかったが、言われると自信がそがれ、落ち込む自分がいた。

上司は「タヌキ」

 タヌキのような上司だった。小太りで、笑顔に温和な性格を感じるが、中
身は保身に走る人物だった。仕事には大なり小なり問題はつきものだが、難
しい問題ほど逃げていた。問題に関係している部下には、「あなたが何とか
しなさい」という重圧をかける始末。

 しかし、終業後のワイン好きのイベントにはよく顔を出していた。ワイン
を口に含み、すぼめた口からひゅるると空気を吸う。こうするとワインの味
が変わるんだよと、何度も何度もやってみせるその姿を思い出す。今にして
思えば滑稽極まりない。

納得なんてできない

 「自責で考えろ」だなんて「あんたに言われたくないよ」というのが本音
だった。「責任」を言うならまず、自分の管理職としての責任を果たしてか
らだよ「タヌキ」さん。「自己責任」と突き放し、部下の行き場を失わせる
ようなことをするのが管理職ではないでしょう。

「タヌキ」の心理

 「他責にしないで、自責で考えること」というタヌキ上司は、とにかく、
部下のせいにしたいのだと思う。そもそも問題を解決するべく対話などした
くないのだ。問題の本質は、うっすらとでも自分にあることを感じている。
それについて触れられることを、内心恐れているからだろう。

言葉という刃(やいば)

 タヌキのような上司であっても、部下を評価する立場にある「強い者」で
あった。彼の言葉を無視することは難しかった。「自責で考えること」と言
われると「出来ない人」という烙印を押されたと感じて、劣等感が強まって
いった。そして、積極的に仕事をすることへの恐れにつながっていった。

 消極的に仕事をすれば、「あなたは積極的に仕事をしていない」と評価さ
れるだろう。どうすればよいのか分からなくなり、悩んだことを思い出す。

 「自責」という言葉は、少なくとも、タヌキのような上司が発するもので
はない。「自責」とは自分が自分自身を問う時にみえてくるものだと思って
いる。

自責と他責

 不安や落ち込みなどで心が不安定なほど「他責」にしたくなると思う。タ
ヌキ上司の下で仕事をしていた時期はまさにこのような状態だった。「他責
にしないで、自責で考えること」と言われと、なおさら「他責」にしたくな
る。心が疲労する悪循環の中にいた。

 自分の責任というものは、心が平穏であってこそ率直に受け取ることがで
きると思う。

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