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2020.2.5.fri それって何になるの?という遊び

2月に入った。雲間は昨年12月半ばから喫茶お休み、お茶の販売とテイクアウト、時短で半開き。イベントや教室も休んでいる。
広島市は新型コロナの感染者数もずいぶん落ち着いてきたようだ。しかし、飲食店への自粛要請は2月21日まで延長された。

引き続き、喫茶を再開する感じが戻らない。
うちの店は温泉場みたいな場所でありたいと思ってきた。
そしてそれが日々実現してそれを眺めていた。幸せだった。
見知らぬ人同志がテーブルを囲んで、湯が沸いて湯気がたってて、はーうまいねなどとくつろぎながら、なんとなく話し始めたり、常連さんが初めての方にいろいろ指南したり、さっき見てきたミュージカルの話に花が咲いたり、その横でひたすら一人本を読みながらお茶を啜ってる人もいたり・・・

それが消えた。ぜんぶ。幻みたいに。

知らない人とマスクを外してしゃべっては感染の恐れが
知ってる人でもマスクを外してしゃべっては感染の恐れが
不特定多数の触れたものに触れては感染の恐れが
長時間同じ場所で多くの人が過ごせば感染の恐れが
密になれば感染の恐れが

お茶飲む時はマスク外す。くつろいだらしゃべっちゃう。
雲間での喫茶は感染の恐れが

そう刷り込まれた恐怖はなかなか払拭できない。

いくら大丈夫だと思っても、ウイルスはいないとしても
知らない人の飛沫は吸いたくない
マスクせずにしゃべる人がこわい
高性能コンピューターの「富嶽」が高度な計算でシミュレーションしてみせた飛沫拡散の動画は、今後も心を蝕み続けると思う。

なので、2月は休むことにした。火木土曜の週3日だけ開く。喫茶しない。
と、インスタで告知した日
お客さんが「近所の店主たちが驚愕してますよ」と教えてくれた。
「雲間さんどうなっとるん!?」
「3日しか開けんってどうやって成り立っとるん!?」
結果、雲間は富豪だから余裕なんだろうということになったらしい。

ええまあ庭に石油湧いてるんでおかげさまで。

この厳しい時節柄、苦難を乗り越えようと、額に汗して働くとか、苦しいけど頑張ります!とかいうほうが人々の心情にマッチするんだろう。
みなさんたいへんですね、うちは休むんで、とか余裕の店はシャクに触るしなんなら潰れろくらいに思われてんのかもしれない。

雲間をたたんで手放すか?まだそんなつもりはないかな。
しかし心ここにあらずの雲間ではお客にちゃんとしたお茶の時間を提供できない。
いっぺん自分に時間を与えてみよう。
元来怠け者なので結果ぐうたらして2月終わるかもしれないけど。
と思ったのだ。

昔々、広告代理店の新人社員だったころ、社長や先輩や取引先のおいさんたちに「あんたはまじめすぎる」「もっと遊ばんにゃあ」と言われ続けた。
バブルを謳歌してギラギラしたおいさんたちの遊びに一切興味はなかったので、「遊ぶって?何すんの?」といつも思っていた。
おいさんたちは20も下の若い子が今何に興味を持ってるのかリサーチしたくてちょっかい出していたんだろうが、激務に疲弊した若者の休日は惰眠。それで「もっと遊ばんにゃあ」と言われましてもと思っていた。

あのころ社内にあった資料や定期購読の雑誌はくまなく貪るように読んだ。広告年鑑や、広告批評、宣伝会議・・・業界の動向や実績には詳しくなったけど、クリエイターとしては伸び悩んだ。
今はなんでかよくわかる。その専門業界だけを掘っていてもだめなんだ。

それに気がついたのはずいぶんあとで、フリーランスになり、広島大学の広報に携わるようになってからだ。
自分みたいな風来坊が広報スタッフとコミュニケートする意味。
閉じた中にずっといると見えなくなっていくのだ。
円環をこじあけて、未知の風を吹かせるよそ者を必要とされていたのだと思った。(違ってたかもだけど)

さらに運命のいたずらでなぜか文系の自分が理学部の先生方の聞き手をつとめる「サイエンスカフェ」に関わるようになって、まったく暗かった世界に光が射した。人生の解像度がぐっと上がり、自分のメモリが倍増した気分になった。(勘違いかもだけど)

ああ、おいさんたちが「もっと遊ばんにゃあ」と言ってた意味がちょっとわかるな、と思ったのだ。(遊び方違うかもだけど)

だからお茶屋はお茶のことばかりでは閉じていくのです。自家中毒起こす。
自分の管轄外に「点」がいっぱいあるほど、手がかりが増える。
だから、なんでもいいから「点」を増やそうと思ったのだ、改めて。

その一つが「ハイキュー!!」という漫画の読みこなし。は?漫画ですか?
どハマりして正月から2度通読した全45巻を、今一度時系列で書き出しながら読んでいる。主人公はなぜあんなに育つことができたのか?才能はどうやって開花させられ、センスはどうやって磨かれたのか追いかけたかったのだ。ええ、漫画ですが「ハイキュー!!」は凄いんだよ。

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「何のためにやってるの?」
「それをやって何になるの?」
と誰からも聞かれる。
何にもなりませんよ。やりたいからやってるんです。一文にもなりませんけどいいんです。おもしろいから。

息子が小学1年生の頃一緒に教室通って息子だけ弾けるようになって挫折したウクレレ にも毎朝触ってる。ぜんぜんコード覚えられないけどいい音を聞きたい。ちゃんとコード押さえられていい音がでるだけでうれしい。

年末の大掃除で中学生の頃さんざん友達を占っていたタロットカードが発掘された。占うというのは「読む」ことなので、お茶の淹れ方を「読む」のと似ていておもしろくなってきた。新しいカード買った。

昨年のトークイベントの収録を文字起こししてみて、自分のしゃべりに愕然とした。考えてる内容を即時言葉にしきれていない。はしょったり言い澱んだりしていてこれじゃあ聞く人に伝わらない。滑舌などの物理的なテクニックもおそまつ、思考が運動野と連携してない。
こうして文章を書くのより数段速い処理能力が必要なんだなと。

次にいつイベントができるかわからない。
けど、「その時」に最善でいたい。
なかなか育たないのは加齢のせいかもしれないけど、そして的外れなトレーニングで無駄ばかりなんだとは思うんだけど、「点」だからね。
「点」は日々打っていくと線になりきっと塗り替えることも・・・
できるかな?

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