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あをによし 山辺の道と 茅の輪くぐり 【大神神社】 奈良歩き 山辺の道〈その一〉

『山辺の道』、ワタシの奈良再会、移住のきっかけになった道。
そして越してから、もう何往復してるでしょう?
山辺の道南ルートのちょうど真ん中ぐらいにあるトレイルセンターを終点に、
桜井→トレイルセンター、天理→トレイルセンターという程よい距離で歩いてます。
というのも、初めて歩いた時の三輪〜天理がなかなかハードだったので、
撮影しながらゆっくり歩いて3時間ぐらいのハーフコースが気に入ってます。

本日は桜井駅スタートでしたが、いつもの金屋経由ではなく、これまた最近好きな恵比寿神社立ち寄りコースにしました。

桜井駅から大和川を越えるとなんとなく古い街並みになる。

左に三輪山の春日神社
今西酒造


伊勢街道(上街道)の途中にある恵比須神社

恵比須神社

まず恵比須神社で、今年初の茅の輪くぐりをさせていただきました。
∞に廻ります。


恵比須様と大黒様


恵比須人神社を出るとすぐ、三輪駅からの商店街に出ます。
商店街を抜けると参道。


三輪山


二の鳥居


三輪さんの手水舎 龍でなく蛇
「みわの茅の輪」 三つの茅の輪

『大神神社』地元のひとは”三輪さん”と呼んでます。
ワタシが説明するまでもなく。。かなり有名な神社ですね。
日本最古や強力パワースポットとして色々な方が紹介されています。
ワタシがちゃんと知ったのが3年前。
『山辺の道』に興味があり、そのスタートに参拝しましたのがきっかけでした。
特に何も強いパワーを感じることはなかったけど。。
その時はまだコロナ禍もあり人も少なく、とても静かで「いい気」を感じたのは確かかな。
というよりもその後に起こったことが、まさしく三輪さんに導かれたと思っております。

本日は大勢の参拝者で賑わっていました。

三輪さんの茅の輪は三つの輪をくぐります。
今年も無事くぐらせていただけることに感謝!∞

パワーチャージしましたら歩きます。

狭井神社へつづく道


苔が美しい道


実際はもっと薄暗い


小川の近くに美しいトカゲさん 
なかなかイケメン?!シュッとしてる!



『玄賓庵』 歴史は平安に遡る古刹



玄賓庵を過ぎると、少し古道っぽい。


そして山道を抜けたところにありますのが『檜原神社』

『檜原神社』


ワタシはこの神社の「気」が好き。
とても落ち着きます。



檜原神社からのぞむ二上山



氷と雲


本日の目的の『三輪さんの茅の輪くぐり』からの山辺の道歩き。
桧原神社で一休み。
ここから眺める二上山がいつもいつもきれいです。
年に何回だか、あのふたこぶの間に夕日が沈むそうです。
一度見てみたいわ。

それにしても暑い暑い💦
『氷』でもいただきたいところ。
でも今日は先に進みます。


その二につづく


『大神神社』ご由緒

社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂みたまとして顕現けんげんされ、三輪山に鎮しずまられたということです。この様に記紀ききの神話に創祀そうしの伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神さいじんの神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして、ご祭神さいじんがお山に鎮しずまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初げんしょの神祀りの様を今に伝えており、その祭祀さいしの姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神すじん天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤あつく祀まつられました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観じょうがん元年(859)に最高位の正一位しょういちいとなりました。延喜式えんぎしきの社格は官幣大社かんぺいたいしゃで、のちに大和国一之宮やまとのくにいちのみやとなり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。中世には神宮寺じんぐうじであった大御輪寺だいごりんじ や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵あんどされて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社かんぺいたいしゃとなりました。

【公式】三輪明神 大神神社HPより


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