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あをによし 歩ける古墳【黒塚古墳】奈良あるき

11月に入り、モミジがいち早く赤く色づいていたが
ここ数日で急に周りの景色が黄色くなった印象。
いつも見ている周りの山が急に明るくなった。


先日、天理市の柳本で用事があり、通りかかった黒塚古墳も秋色になっていた。
夏の青々とした古墳の丘もキレイだが、黄色(茶色?)になったものも秋らしく
時間があったので散歩してみた。

そう、ここは歩ける古墳。
キレイに整備してあり、公園になっている。


前方後円墳
後円側から




秋色



夏色



写真左側の前方側から入った。

前方後円墳、鍵穴のような形だが円い方が下というか後方に見るのが
いつも違和感がある。






空から見ると






黒塚古墳
造営時期を3世紀後半頃と推定さているが被葬者は不明。
古墳時代でもかなり初期のものとされる。
ここで出土した33枚もの三角縁神獣鏡の数からすると、相当の権力者であったことは間違いないのでは。

鎌倉時代に大規模な盗掘にあっているようだが、珍しい合掌造状の天井が
地震で崩壊し、空洞のあった南小口部分は侵入されているが
石室南小口以外には完全な形で副葬品が残されていた。



公園内に展示室があり、発掘時の石室の復元や三角縁神獣鏡の複製が展示されている。

鏡はそれぞれデザインの違いもあり、見れば見るほど興味深い柄。






石室復元



文字が気になる





いったいどんな豪族?が埋葬されていたのだろう?




前方部から上がる



後円部の頂上


発掘時の石室




後円部の上部からは周りがよく見渡せる。
奈良は高い建物が少なく、何度も書いているが・・・
ちょっと小高いところに上がると盆地がよく見渡せる。


手前が耳成山(みみなし)
奥が畝傍山(うねび)



箸墓古墳
うっすら見えるのが三輪山の一部




奈良県桜井市箸墓古墳京都府木津川市椿井大塚山古墳岡山県岡山市浦間茶臼山古墳などとともに出現期古墳と総称される[11]。なお、黒塚古墳、椿井大塚山古墳、浦間茶臼山古墳は箸墓古墳のちょうど2分の1に企画された前方後円墳である可能性が高いと考えられてい

wikipediaより

これを意味することは・・・???



まだまだ謎が多い古墳時代、そしてこれからも全てが解明することは
おそらく無いかもしれない。

古代の人々が遠い二上山から切り出した石をここまで運んで造営した遺跡が
ここにある事実。想像するだけでもすごいこと。

そういう遺跡がここヤマトにはゴロゴロしている。
想像と妄想を膨らませるには十分な素材と景色。

歴史がゴロゴロには慣れたが、歩いても歩いても飽きない。

見ても見ても見切れないヤマトの歴史と景色。




龍王山





三角縁神獣鏡風?




室町時代はこの古墳を利用して砦を築いたり、戦国時代は古墳に城が築かれたりと
時代を経て、現代に公園となったのは平和な証拠であろうか・・・



柳と雲




戦国時代の奈良、奈良時代以降の奈良の歴史はほとんど無知。

まだまだ知らない事ばかり。



古墳を歩いた秋、いや初冬。












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