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西国三十三所観音巡礼 【南法華寺(壺阪寺)】 奈良

世間はお盆休みに入り、帰省や出国ラッシュのニュースは
すっかりコロナ前に戻った勢い。

ここ数年、海外のことはすっかり興味が薄れていましたが
なんだか最近海外の空気もいいなぁと。。。
パスポートの期限をチェックしたり
Kris Flyer(Singapore Airline)のステイタスがまだ有効かチェックしたり

妄想だけの旅行になりそうですが。。。


ということで、現実の近場の山に巡礼旅行してきました。

西国三十三所第六番札所の『南法華寺』
南法華寺でわかる人は少ないでしょう。
『壺阪寺』が一般的です。

近鉄吉野線の壺阪山駅からバスで10分ぐらい。
ただそのバスは、1時間に一本あるかないかのいつものパターン。
まだ多い方かしら。

壺阪寺へは、奈良生活が始まってすぐ、職場の方に勧められて
『大雛曼荼羅』を見に行ったことがありました。
3月の半ばぐらいだったので、桜も早く景色的には印象的なものはなく
ちょっと変わった雰囲気のお寺だなぁと思ったぐらいでした。


今日、家を出たときは曇り空でしたが、どんどん晴れて青い空が見えてきた。

壺阪山駅前


バスですぐ、お寺の前まで行けて楽しすぎが甘いかな。。。

バス停降りてすぐ入り口。

入山受付の係の方に
係「初めてですか?」
雲「いえ、2回目です」
係「では説明聞いてもらいましょう」
雲「??? はーいお願いしまーす」

同じバスで降りた男性(初めての方)と一緒に説明を受ける。

「全て写真撮れます」と
そうこなくっちゃ!


きっと3回目ですと言っても説明受けるのかな。。。笑
でもとても明るく感じの良い方だったので何回でも聞きますよ、説明!

そんなんで、なんとなく楽しい予感。


いいとこ知ってるのよね
爆睡ZZZ

昼寝の猫ちゃんを横目に上がると


仁王門
お二人は入院中


壷阪寺の仁王門は、鎌倉時代の名僧解脱上人貞慶師の発願により建立されたと伝わっております。そこに座して、壺阪の伽藍を守護される仁王尊に「慶長」(安土桃山時代の元号)が記されていることから、その時期に造像されたか、修理されたことが想像されます。近年、阿像(口が開いている像)の右手が落下するなど、長年の風雨雪の影響などによる経年の劣化が激しくなったことから、仁王尊(二体)の解体修理を発願致しました。
この解体修理事業に皆様にもご参加、仁王尊の力強い御心を頂くご利益(りやく)を頂いて欲しいと思います。

壷阪寺(南法華寺)公式サイトより






礼堂(重文)


礼堂の後ろに本堂「八角円堂」


ワタシ好きかも
不動明王さま




御本尊
 十一面千手観世音菩薩


手に触れられるほど近くで拝むことができます。
本来、そういうものであるべきだと思うわけです。
仏様の目を見て心を開く


千手観音様は色々持ってます。



八角円堂の外廊下からの景色も素晴らしい



礼堂と八角円堂


壺阪寺について、ここも複雑なのでサイトに説明してもらいます。

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。

平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。

近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。

壷阪寺(南法華寺)サイトより



ちょっと変わった字
第六番札所




三重塔(重文)



背中が語る
「俺についてこい!」


壺阪大佛



広い境内、色々な建造物、仏像が多種多様にあります。

特にインドとのつながりがかなり強いようで
エキゾティックな雰囲気が、初めて訪れた時に
ちょっと変わったお寺の印象を受けたと思います。

このお寺のシンボル的な大佛様と、もう一つが高さ20mの大観音石像があります。

大きすぎてどう撮影したらいいか悩みます。


天竺渡来大観音石像





そして壺阪寺のエキゾティックエリア


天竺渡来佛伝図レリーフ





天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)

インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられ、総重量1,500tにおよぶ壮大な石の御堂

壷阪寺(南法華寺)サイトより











この場所だけ、どこかインドの遺跡にきたような独特な雰囲気。
そもそもインドとは、こういう感じなのでしょうか?


仏像やレリーフの立体感が光と影を作り出し
より神秘的な空間になって美しい。




そしてワタシのこのお寺のイメージが


こんな感じ




改めて訪れて、不思議な印象は変わりませんが
なんとなく仏教の原点的なことが見えるような気がしました。
仏教とは、本来こういう感じなのでは。。
海外から伝わり、日本風に解釈や変化して日本の仏教になったのが
空気感や表情の違いからわかります。

おおらかで懐の広いお寺かな?!


いい再訪になりました。





青い空に映える美しい仏像や建物、山の姿を堪能でき満足!


壺阪の山でインドを垣間見たプチトリップでございました。


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