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「窮すれば濫す」

僕はライターと自称しているだけで、実は文章を書く仕事なんかひとつもありません。アルバイトでいくつかの企業さんの宣伝営業補助と監査法人さんのお手伝いの仕事をしているだけです。正しくは繰り上げ年金暮らしのフリーター爺さんです。

このnoteというのは、多才なプロの方たちの文化SNSのようですが、僕なんかが、とっちらかった未整理の文章書いたりしていると、凄く違和感がありますね。

若い頃に漫画専門誌やデイリースポーツなどに絵が載ったり、青年雑誌に写真が載ったり、長く業界誌で働いていたりしても、結局はプロの漫画家でも小説家でも写真家でも記者でもないのです。

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で、素人だからこそ自分の文章や絵がメディアに載ると嬉しいじゃないですか? ちょいと自慢させて下さい。写真は岡山県倉敷市で発行されていたフリーペーパー「BLUE RECORD」(現在休刊中)です。1995年に創刊されて、地元に愛されたメディアです。

僕はここの編集長とFacebookを通じて縁ができて「エッセイを連載してほしい」ってお願いされたんです。2013年のことです。これは翌年までの2年間連載させていただきました。もちろん素人の連載ですから原稿料なんてもらえません。

岡山県倉敷市という狭い地域内(ごめんなさい)でも、自分の名前で記事を連載していただけるというのは「売名」としていいじゃないですか。アナログSEOですよね(笑)

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連載内容は、ここ(note)で書いているような個人的に興味があるものばかりでした。誰が読んでくれたんだろう…? アナログSEOとして効果はあったのでしょうかね?

あ、自慢はこれで終わりです。自慢できるものは少ないから、あっという間ですね。

さて、連載が始まった2013年といえば、今以上に仕事がなくて、僕は生活に困っていました。「窮すれば濫す」ということで、知人の市会議員から「国会議員の手伝いをしてくれないか?」という誘いに飛びついてしまったのです。ちなみに、僕は政治家という仕事は世の中の職業として一番嫌いなんです。その手伝いをするなんて、恥ずかしいことです。まさに窮すれば濫すでした。

手伝いをしたのは、前年(2012年)の12月に行われた第46回衆議院議員選挙と、2013年7月の第23回衆議院議員選挙です。つまり2人の政治家の手伝いをしたんです。

その政治家というのは、M党の議員2人(衆議院議員&参議院議員)でした。2006年の第1次安倍政権から福田、麻生と、世間知らずの無責任坊ちゃん総理が連続したことに嫌気がさした国民は、何かやってくれそうなM党に期待し、2009年には遂に政権交代が行われました。1993年から1996年までの細川、羽田(彼が農水大臣時にインタビューしたことがあります)、村山政権に酷似していますね。

M党は奇跡的に政権交代したけれど、彼らはどう政治を行えばいいのかわからなかったんですね。おまけに自民党による長期政権によって政治腐敗が定着していたので、腐りきった官僚から疎まれ、利益になることしか考えない経済界から阻害されて、理想の政治はできなかったんです。

結局は東日本大震災時の対応の拙さから政権崩壊に至るのですが、僕が手伝いをしていたのは、ちょうどその時期でしたから選挙運動の手伝いは大変でした。駅頭でチラシを配っていると、罵倒されたり、鞄で殴られそうになったりしました。本当に怖かった。

しかし、得たものもたくさんありました。政治家というのは公職選挙法なんかなんとも思っていないんです。公選法違反で何人逮捕されようが、彼らや彼らを補助する政治家の地元市民(彼らは選挙になると金を求めて集まってくる選挙野郎たちです)は平気で公選法違反を繰り返します。その行動は暴力団なみです。

政治活動というのは「普段の地道な行動」また「政党内での人間関係と要領」にあるということがよくわかりました。これを怠ると再選できないばかりか政党内で大きな顔ができないんです。金目当ての選挙野郎たちも寄りつかなくなってしまいます。普段威張っているから再選できないと彼らは食っていけないんです。普通の仕事なんかできないんです。だから所属政党も、ころころと変わります。この間まで革新系政党だった人が、突然、保守系政党になったりします。恥も外聞もないんです。

たった2年間の政治家補助でしたが、彼らの人間性を理解することができたのです。同時に自分ではわからない僕自身の人間性も少しだけ理解できました。

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