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死に逝く者…母の場合

 小田急相模原駅から歩いて母が入院する病院へ向かう。病院までは20分ぐらいかかるが、商店街の店々を眺めながら歩くのは凄く楽しい。母が脳梗塞で倒れたときにもこの道を歩いた。それより遙か昔には、同じ病院で妹が乳がんの検査をする際に心配でついて行ったことがあるが、その際にもこの通りを歩いた記憶がある。

 この商店街の通りの突き当たりがこの病院は旧陸軍病院で、漫画家の水木しげるさんが戦地から帰還後に入院していた病院であるという。

 数人の看護師たちに囲まれて母が泣いていた。僕が病室に入ると、看護師たちは、僕の顔を見て逃げるように部屋を出て行った。母はベッドの上で少女のように涙を流している。

「どうしたの」
「あたし、悪い病気なんだって。だから家に帰れないんだって」
 腹が立った。家に帰りたいとゴネる母を持て余して、看護師たちが本当の病名を伝えたのだと思った。

 数日前に主治医に呼ばれて「お母さんには末期の肺がんであるということを話さなければならないんです」と言われ、僕と妹は慌てた。昔と違って患者への告知義務というのがあるらしい。告知せずに治療した後に訴訟問題にまで至る可能性があるからだ。

「母は気が弱いから、まだ話さないでほしい。機会をみて僕たちが母に話します」と答えた。
 主治医は渋々承知したが、それが看護師たちまで達していないのだろうかと病院側の軽々しさに腹が立った。

 涙を流す母に僕は嘘をついた。

 「馬鹿だな、母ちゃんは肺炎なんだよ。年寄りなんだからさ、肺炎だって下手すりゃ死んじゃうんだよ。だから看護師さんたちは悪い病気だって言ったんだろうよ」
 「そうなの…」
 「そうだよ。すぐには帰れないけど、肺炎が治ったら帰れるから。心配しないで、さあ、少し眠りなよ」

 母は「わかったよ」と呟くように言って横になった。横になったまま顔を窓側に向けていたが、すぐに僕の方を見て口を開いた。

 「そういえば、今日は子どもたちの声が聞こえないんだよ」
 「子どもってあそこの保育園の子どもたちのことかい?」
 「そうだよ。今日はどうしたんだろうね」
 「今日は土曜日だから保育園は休みなんじゃないかな」
 「そうか、今日は土曜日なんだ…」と言うと、母は目をつぶった。母の鼻と口を覆う薄緑色の酸素吸入器がシューシューと小さな音を立てている。しばらくすると母は眠りに落ちたようだった。
 
 母の病室は、西側に大きな窓があって、丹沢の山々がよく見える。手前には相模原の街がミニチュアのように乱雑に並んでおり、見晴らしの良い丘の上にいるような部屋だった。病院の敷地の隣に母が言う保育園があって、子どもたちがやってくる早朝から、彼らの親たちが迎えに来る夕方まで楽しそうに遊ぶ声が聞こえてくる。彼らの笑い声が母の楽しみになっていた。母は子ども好きだった。僕と妻には子どもができなかった。母は祖母となって孫の顔を見たかったに違いない。

 僕は所謂マザコンだったと思う。「あたしが生まれたばかりの誠子にお乳をあげていると、あんたは怒って誠子をいじめたのよ」幼い頃から当然のように妹をいじめて母を独り占めした。子どものやることだから、もしかしたら命に関わることになるかもしれない、これは危ないと考えて、父母は、妹を母の実家がある岩手県一関市の神社に預けたのだという。それがどれくらいの期間かはわからないが、僕は母を独り占めにしていたのだ。

 その母が、もうすぐ死んでしまうとは…全く実感が湧かない。もしかすると僕は、いまだに乳離れしていない幼児のような意識なのかもしれない。

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