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「妄想邪馬台国」10

「ホツマツタエが本当の記録だとしたら、先住民の蝦夷が邪馬台国を形成していたけれど、それが大陸から渡ってきた天皇の先祖たちに侵略駆逐されて、ホツマツタエの歴史まで奪われてしまったというイメージだな」
「本当の話ならばね」
「で、邪馬台国出雲説ってのは?」
「ったく、異能くんが話を脱線させるからよ」治子は異能を睨んだ。異能は頭を掻きながら「ごめん」と言って舌を出したが、開き直るように僕を見て「脱線させちゃったけど、出雲邪馬台国説とホツマツタエと基本は同じなんだよ。縄文文化は東北中心だけれど…」
「のちの大和朝廷が先住民族の出雲を侵略した?」
「そうそう」
「古代の出雲は大きな統治国家だった。それを渡来してきた天皇の先祖たちに侵略されて、出雲人の稗田が古事記を編纂して、それを天皇中心の歴史とするため日本書紀を作った。国家そのものが邪馬台国だった」
「でもさ…」
「何だい?」
「古事記神話って“親や兄弟間の争い”って同じような話が続いているんだけど何故かな?」
「不自然だって言うんだろう?」
「そうそう」
「それこそ古事記も日本書紀も、天皇の正当性を主張するための作り話であるってことの証明じゃないか」
「なるほど」
「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の話なんか、持統天皇の孫である軽皇子(カルノミコ)、つまり文武天皇のことだって説もあるくらいだ。だから白紙状態からだとまでは言わないけれど、自分たちの都合良く血統証明しているだけなんだから」
「ニニギノミコト?」
「しようがないわね、それも説明してあげるわよ」
「威張ってるよ」
「えっへん、じゃあ話してあげるわ」

恫喝してオオクニヌシから葦原中国(出雲、または西日本全域)を奪ったタケミカヅチは高天原に戻ってアマテラスに報告した。アマテラスの子・天忍穂耳命(アメノオシホミミのミコト)に「葦原中国に降りて統治せよ」と命じたら、「代わりに私の子を降ろしましょう」と言った。

その子というのは、天忍穂耳命と、高木神(タカギノカミ)の娘(万幡豊秋津師比売命:ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)との間に生まれた天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニニギノミコト:ニニギニミコト)のことだ。

アマテラスの許可を得て、ニニギノミコトが葦原中国に降りようとすると、上は高天原を下は葦原中国を照らす神が立ち塞がった。アマテラスはその状況を聞き、アメノウズメノカミに命じて問いただせと言った。アメノウズメノカミが立ち塞がる神と話すと「私は猿田毘古神(サルタビコノカミ)と申します。ニニギニミコトの先導役をつとめようとお待ちしていたのです」と言った。

ニニギは五柱(5人)の神を連れて高天原から降りることになった。アマテラスからは、勾玉と八咫鏡(ヤタノカガミ)と草薙剣(クサナギノツルギ)、が渡された。そこに三柱(3人)の神も加わって、筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に降りた。「この国は韓国(朝鮮半島)に相対して笠沙の御崎にもまっすぐに繋がっている」と感心して壮大な宮殿を作った。これが天孫降臨だ。

ニニギは、笠沙の御崎で美しい女に出逢った。これが木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)で、ニニギとの一夜の契りで子ができた。ニニギは「一夜の契りで子ができるはずがない。それは私の子ではない」と言うと、コノハナサクヤヒメは、「あなたの子であることを証明してみせる」と言って、大きな産屋を作って中に入って火をつけて炎の中で子どもを産んだ。それが火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホヲリノミコト)である。

「ニニギと神武天皇と天武天皇ってかぶってるね」
「そうなんだよ。もっと言えば祟神天皇、応神天皇、雄略天皇、継体天皇なんてと同じような話が連続してるんだ」
「だから、古事記を下敷きに日本書紀を作る際に、まだ記憶に新しい自分の祖父あたりの出来事を中国や半島の神話や歴史をごちゃ混ぜにして無理やり作った感じがするのよね」
「特に継体天皇まで、現実感がない」
「そうだね」
「面白いのは、ニニギがコノハナサクヤヒメと結ばれる時に一緒にコノハナサクヤヒメの姉の石長姫(イワナガヒメ)ももらうんだけど、イワナガヒメが醜いからって親元に返しちゃうんだよ」
「神様の子どものくせにひどい奴だね」
「そうそう」
「でもね、イワナガヒメを返して、コノハナサクヤヒメだけを選んたことが神の子であるニニギの運命を大きく変えてしまうんだ」
「運命を変える?」
「コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父大山津見神は、イワナガヒメは、名の通りに、岩のように磐石な永遠の命という意味がある。コノハナサクヤヒメには木の花が咲き誇るように繁栄するという意味がある。イワナガヒメを返されたということは、あなたは永遠の命を捨てたことになると言ったんだ」
「それから神の子である天皇にも寿命があるようになったのよ」
「コノハナサクヤヒメとイワナガヒメというのは、天武天皇に嫁いだ大田皇女と鸕野讚良皇女(持統天皇)があてはまるね」
「うん、持統はコノハナサクヤ、大田皇女はイワナガヒよね。大田皇女は大津皇子と大来皇女を産んだあとに亡くなってしまうのよ」
「そうなんだ」
「天武天皇即位の前に母の大田皇女が死ぬでしょ? イワナガヒメが実家に返されたって話とリンクしている。686年には天武天皇も死んじゃう。そのあとに大田皇女の子の大津皇子は謀反の罪で自害しちゃうのよ」
「持統天皇にとって、自分の子の草壁皇子を次の天皇にしたいから、姉の子、大津皇子は邪魔な存在だった」
「うん。大津の親友・川島皇子の密告で謀反の罪をきせられちゃうって言うけど、実際には持統の企みだろうね」
「イメージ的には持統をコノハナサクヤ、短命で謀反者を産んだ大田皇女をイワナガヒメとしたのよね」
「でもさ、持統と大田って天智天皇の子だから、天武天皇にとっては兄の子でしょ?」
「そうそう、この時代には王族の内婚化が進んで、異母兄弟、姉妹との結婚、姉妹を同時に妻にするということが多くなるのね。異母姉妹との結婚は敏達と推古、用明と穴穂部間人皇女があるし、叔父と姪の結婚は、舒明と皇極、天武と大田皇女、持統があるね」
「げ、近親相姦じゃん」
「うーん、現代ではね。異母兄弟姉妹だからね」
「いずれにせよ、神代は、まだ当時の状況がわかる推古天皇からはともかく、推古以前の話は、まったくの創作だろうね」

つづく

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