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死に逝く者(義父の場合)     「襖(FUSUMA)」

1.

東日本大震災の頃から義父が認知症だということがわかり、翌年から症状が酷くなった。西葛西のマンションを出て、周辺を徘徊するようになった。徘徊しないように義父の側にいると、突然、虚空を指さして「あそこに誰かいる」「あいつは俺のことをいつも見ている」と怒ったように呟くことが多かった。レビー小体型認知症の症状だ。木場の病院で症状を停める薬を処方してもらっても義父の症状は酷くなるばかりだった。

そんなある日のこと、西葛西で義父と暮らしている義妹から電話があった。

「さっき、葛西の警察から電話があって、おとうさんが徘徊して駅前で転倒して怪我をして病院に運ばれたんだけど、病院では身元がわからないので仕方なく警察であずかったんだって。それでおとうさんの持ち物から身元がわかったんだけど、それが正しいかどうか今すぐ警察まで来てくれって言うのよ。私は仕事で行けないから、お姉ちゃんたちが行って」

警察署に電話すると「身元が正しいかどうか確認したいからお父さんの写真をファクスして下さい」と言う。写真をファクスすると「間違いありません。お待ちしていますから引き取りに来て下さい」と言う。

僕たちが警察に到着すると、警察署の受付で説明すると、すぐに担当の署員が現れて、お義父さんが待つ部屋に向った。確か3階だったと思う。その部屋の中に入ると、義父が顔中を青アザだらけにして僕たちを見て笑った。午後9時過ぎだったと思う。署内は照明も少なく、まるで暗がりのようだった。

「病院でレントゲンを撮ったんですが、異常はないようです」と署員が言った。

いくつか書類にサインして義父をタクシーでマンションまで送った。それらの状況を思い出そうとすると、まるで「悪夢を見ている」ような情景が頭の中で再生される。

マンションに入ると、すぐにお義父さんを布団に寝かせた。「大丈夫?痛かったでしょ?」と話しかけると、義父は軽く頷いて微笑むだけだった。しばらくすると義妹が帰宅したので、僕たちは千葉のアパートに戻った。

2.

翌日、僕たちは義父が心配だったので、また葛西に出かけて病院に連れて行った。検査をしたら異常なしということだったが、顔の青あざを見ると「異常なし」には見えない。

そのまま義父のマンションに帰ると、義父はソファに座ってまた笑った。

「また徘徊すると大変だから、しばらく様子をみようということになった。

その日のこと…。

義父が自分が寝ている和室の押し入れを指差して「誰かいる」と言う。

押し入れの前に誰かが立って義父を見ていると言うのだ。

ヨロヨロと立ち上がって押し入れの前まで歩いて押し入れの襖を開ける。

荷物がぎっしりと詰まった押し入れの中を一通り見てから、

「おや、いないな」と言って、ふう~とため息をついてヨロヨロと寝床に戻る。

横になっても押し入れを凝視している。そして、また「誰かいる」と言う。

しばらく押し入れを見てブツブツと何かを呟いてからグーグーと寝てしまう。

大人しく寝ていると思ったら、いつの間にか目をさまして、また「誰かいる」と言い出す。

するとまたヨロヨロと押し入れの前まで歩いて、襖を開く。今度はなにかが見えるらしい。

「なんだお前か?」とつまらぬように言い捨てると、義父は勢いよく襖を閉めて舌打ちをした。

義父が見ている幻を僕も見てしまうという恐怖感から、僕は、しばらく押し入れの襖から目を離すことができなかった。

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