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「スピッツ」

そのスピッツに名前をつけていたかどうかは忘れてしまったが、僕はいつも彼と一緒にいた。

近くに住む子どもと遊んだ記憶がないので、彼は孤独な僕の良い遊び友達だったのだろう。 それにしても、昔のアパートで、よく犬が飼えたものだと思う。 もちろん、アパートの室内で犬を飼うことはできなかったので彼は外につながれていた。

当時の自宅は2階建ての1階で、 その庭のような敷地内に小さな小屋を据えて飼っていたのだろうか? その記憶が全然ないのだ。 ただし、以下のような記憶がある。僕が今でも酷く後悔している出来事のひとつだ。

ある日、母が県道を挟んだ近くの知人宅で話をしていた。 僕はスピッツとアパートの外に出て遊んでいた。県道の向こうで知人と楽しそうに話をしている姿を見て、子供心に母を驚かせてやろうと思った。

僕はスピッツを鎖から外して道路の向こう側にいる母に向って「行け!」と叫んだ。 彼は喜んで走り去り、あっという間に県道を越えて母に飛びついた。母は「キャー」 と言って驚いて彼を抱き上げて笑った。 知人たちが僕を見て「かっちゃん、駄目だよ、お母さんを驚かせちゃ」と笑いながら言った。

僕は彼が僕の命令を聞いて、母に向ったことに対して満足して、 今度は彼を僕の元に呼び戻そうと彼に向かって「戻って来い!」と叫んだ。彼は僕の声を聞いて母の腕の中から飛び出して僕に向かって走って来ようとして、県道に飛び出した。

すると、一瞬、 聞いたこともないような恐ろしい叫び声が空気を切り裂いた。 同時に金属的なブレーキ音も聞こえた。 母と知人たちが県道に向かって何か騒いでいる。 近くに走り寄ってみると、真っ白なスピッツの胴が凹んで血溜まりの中にあり、彼の口から何かが飛び出しているのが見えた。

それを見た僕は彼が車に轢かれて死んだことに気がついた。 そして自分のせいで子犬が死んだという恐ろしい我が罪に額然となって身体が震えた。 怖くなった僕は自宅の部屋に走り帰って、こたつの中でブルブルと震えていた。

しばらくして、母が帰って来て、 こたつの布団を上げて泣きじゃくる僕に「大丈夫だから出て来なさい」と言った。 まだ泣き続けている僕を座らせて 「あのね、 スピッツは車に轢かれて死んじゃったの。 お前がわざとやったわけじゃないから仕方のないことなの。おばちゃん達と一緒にみかん箱に入れてお線香を立てて阿武隈川に流してあげたから天国に行けるんだよ」と言って笑った。当時のみかん箱は木製だったから水に浮かんだのだ。

仕事から帰宅した父に母が「スピッツを轢いた人たちは、市内に勤める人たちで、車から出て謝ってくれたの。 後からまた来てくれるって言ってたけど、結局来なかったわ」と話した。父は「そうか…」と言って哀しげな表情で僕を見た。父は僕を叱ることもしなかった。

僕は今でもスピッツの彼のことを忘れないでいる。 時々、彼を思い出しては当時の自分の罪の恐ろしさに後悔することがある。 実際に見たわけではないが、 彼の骸を入れたみかん箱が線香の煙を纏いながら阿武隈川をゆっくりと流れていく情景を思い浮かべるのだ。

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