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カルチャースクール「雑談講座」とは?

カルチャースクールで新しく講座を企画しました。「雑談講座」です。

企画案が生まれたのは、長くカルチャースクールで講座を開設してきて、よく言われたことが「文章を教えてくれる上に私たちの話を聞いてくれるのが嬉しい」でした。要はカルチャースクールに通う目的のひとつに「人と話ができる、話が聞ける」ということなのですね。寂しい高齢者さんというのは大勢存在していて、特に1日中、部屋に籠もってテレビを観たり昼寝をしたりしている方々は、脳の働きも悪くなるでしょうし、人とのコミュニケーション能力も低下していくですね。

義父は義母が亡くなってから約10年、孤独な生活を送っていました。話し相手がいないので(本当はいたのですが、それは機能していませんでした)、長く孤独な生活を送って、10年のうちの後半は重度の認知症になってしまいました。

僕が暮らす千葉と義父の家がある東京では、少し離れていますから、月に2回ほど様子を見に行くだけで、親身になって話しに行くことはありませんでした。しかも、様子を見に行くのは、ほとんどが娘であるかみさんでした。義理の息子である僕は義父には無関心で、面倒だから関わりたくない・・・なんて思っていました。酷い奴でしたね。認知症を患ってから、やっと世話をするようになりましたが、そもそも認知症にならぬように、まめに話し相手になってやるのが本当でしょう?

「かみさん任せにせず、僕だけでも話をしに行ったり、酒の相手をしてやればよかった」と、今でも後悔しています。

さて、義父のような人たちがたくさんいると思うのです。自治体も「コミュニケーションイベント」を行なっています。しかし、参加した人に話を聞くと「イベントでの中心人物になろうとする話し上手?な人がイベントを牛耳って、他の人たちは思うように話せないし、中には初めから仲が良い人同士でしか話さないというのもあるんで、参加する意味がないんです」と言うのですね。

スクールの運営側にその話をすると、「それはいいですね!」と飛び上がって喜んでくれました。というのも、カルチャースクールというのは何かを教えるという機会を作るものですが、“知らないことを習う”という主目的よりも習いに通うのが楽しいと思わせなければならないのですね。学ぶということよりも遊びに来させるというイメージでないと集客できないのです。何だ、集客かよ?営業かよ?と怒られるかもしれませんが、実際にはそうなのです。営業的であっても利用者が楽しいと思うのならいいんです。それに雑談は無駄ではありません。雑談することが主目的であってもいいと思うのです。

しかし、運営側は、「雑談するということだけでは講座にならないので、話し方講座とか認知症防止会話講座とかを考えてほしいんです」と言います。「そうか、それでは何か考えてみますよ」と言って企画書をメールで送りました。

1週間ほどして運営側から「講座チラシの校正をお願いします」と連絡が来ました。「なんだ、本当にやるのかよ?」と思いながら校正して返信しました。

昨日、スクールで運営側(店長と言います)に聞いたら「本部に画期的だと褒められた」と嬉しそうにしています。僕が「生徒さんは集まらないんじゃないかな?」とマイナスのことを言うと、満面の笑顔で「画期的な企画だと本部に褒められたので、失敗してもいいんです」と舌を出すんですね。

「しようがねぇなぁ」と僕は、冗談で店長を睨んでから笑ってスクールの階段を降りて自宅に向いしました。

見出しの絵はAI描画です(またかよw)。


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