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災害の多様性「災害の発生時間」1

災害は誰でもイヤですが、「複数のプレート上にある」、「台風の通り道である」、「列島全体に火山がある」と、いくつもの災害起因の上に構成されている日本列島に暮らす私たちにとって「災害とともに暮らしている」と言っても過言ではありません。災害は避けられない…とすると、いつでも起こり得る災害に備える必要があるのです。

被害をできるかぎり少なくするための減災対策は重要ですが、これには少し条件があります。被災度を軽減するためには災害の発生時間が問題なのです。

災害発生が、熟睡時や入浴時にトイレに入っている時だったとしたらどうでしょう? 熟睡時には逃げることができませんし、入浴時やトイレ時では逃げるのに時間がかかります。そんなときに災害に遭うのはまっぴら御免です。

どうせだったら、すぐに逃げられる時間帯に災害が発生してほしいなんて思います。

「明日の午後1時に大災害が発生する」という確たる予測ができれば、その時間にヘルメットをかぶり、安全靴を履き、重要な持ち出し品を持って、避難所に赴けばいいのです。でも、それは不可能ですね。

作家の原民喜さんは千葉で奧さんを亡くし、傷心のまま故郷の広島に帰りましたが、そこに原爆が投下されます。原さんはその時、トイレに入っており、直撃を免れました(ちなみに原さんは、その後、東京に戻りましたが、中央線吉祥寺駅と西荻窪駅の中間の線路内に立ち入って自殺してしまいます)。

トイレの中や風呂の中は、人工的な戦争災害や、自然災害でも竜巻災害には避難場所として効果を発揮します。それでも地震や津波災害にはまったく役に立ちません。

おっと、場所ではなく災害の時間帯でしたね。

ちょっと過去の震災の発生時間を見てみましょう。

関東大震災大正12年9月1日の午前11時58分に発生しました。火を使って昼食の用意をしていた家庭も多く、大火災が発生しました。被害は、南関東から東海地域に及ぶ広範な地域が被災しました。死者は105,385人、全潰全焼流出家屋293,387戸に上り、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生しました。(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月)より。

太平洋戦争中にも「鳥取地震」「南海地震」昭和東南海地震」「三河地震」といった大地震が発生しています。

昭和18年(1943)9月10日の17時36分に発生した「鳥取地震」は、震源地が鳥取県気高郡豊実村(現在の鳥取市)の野坂川中流域。マグニチュード7.2 。震源は極めて浅く、家高郡湖山村(鳥取市)で震度6。岡山市でも震度5を記録しています。鳥取市など合計で1083人が死亡。住居の全壊数は7485戸を数えました。

昭和19年(1944)12月7日13時35分頃、マグニチュード7.9の「昭和東南海地震」が発生、静岡県御前崎市と三重県津市で震度6を観測しました。三重県には最大8mの津波が襲来し、死者・行方不明者は1223人、負傷者は2864人に達しました。被災家屋も95000棟以上に及びましたが、太平洋戦争中であり、報道管制(規制)が行われたため、被害の詳細は不明です。

翌年の昭和20年(1945)1月13日の午前3時38分には「三河地震」が発生しました。震源は愛知県の三河湾で、マグニチュード6.8の直下型地震でした。
夜明け前に発生したために被災者は就寝中でした。死者行方不明者は1,961人にのぼりました。

以上を、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震といいます。

阪神淡路大震災は、平成7年1月17日午前5時46分に発生しましたから、多くの人は睡眠時であったと思います。そのために多くの人が家屋の倒壊による圧死が発生しました。

東日本大震災の発生は、平成23年3月11日の14時46分でしたから、逃げるに充分な時間があったと思いますが、地震後の約30分後に襲来した大津波によって多大な被害を発生させてしまいました。3月でしたから真冬の寒さが少しは和らいでいたとはいえ、東北地方の夜間はまだ氷点下になる季節です。大震災によって大きな混乱を招いたのは東北地方だけではありませんでした。地震が発生したのが午後3時近くという時間帯であったことから、東京などの都市部では数多くの帰宅困難者が発生したのです。

以上のように災害の発生時間によって被害状況は大きく異なるのです。

つづく

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