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選ばれること

僕が幼稚園に通っていた頃、その当時の夢は「パン屋になること」だった。
今思えば何でそんなことを考えたのかわからないが、子どもだから腹一杯パンを食ってみたいなんてバカなことから発想したのだと思う。

小学校に入ると特撮ドラマや映画に夢中になり、円谷プロに入りたいと思うようになった。さらには漫画に夢中になり、小学生のくせに難解な大人向けの漫画を描いてみたいと思うようになった。

中学に入ると一般映画にはまり、映画監督になりたいなんて思うようになった。同時に文学作品を多く読むようになって、小説家もいいじゃないかなんて思った。それが高校では推理小説に夢中になって、推理作家になりたいと考えるようになった。普通の人であれば、ここらあたりで公務員を目指すとか…あれ、他に何かあるかな? こんなもんだ。

高校から大学にかけては、ギターが弾けるようになってフォークロックミュージシャンになりたいなんて考えるようになった。なんてことない、単純で、好奇心の動くものなら何でもなりたかったのだった。といって、何かに応募したりバンドを組んだりはしない。それほど内向的ではないが、狭小な部屋の中で自己肯定(自己満足かも)しながら自分の世界に浸っていれば満足だった。

そのうちに田舎町から都会に出てくると、一切の夢はなくなった。都会の人びとに触れあっても影響を受けることはなかった。子どもの頃に僅かに夢見た漫画でも描いてみようかなんて思っても、絵が下手だとわかったところでやめた。デッサンを習いに都内の美術研究所まで出かけても真面目に勉強せずに知り合った人びととバカ騒ぎしていた。

そのうちにレコード屋のバイト、百貨店で画材の仕入れ販売、風俗紙の編集、レース鳩の業界誌、重機企業のコピーライター、結婚式カメラマン、美術雑誌の誌面分譲営業、農業紙記者、家電記者、IT誌の広告営業…と仕事を転々としているうちに夢も何もなくなって、その場しのぎの生き方をするようになった。

ところが50歳を越えてから仕事を辞めて食えなくなると、嫌いな政治家の手伝いをしたり、釣具屋でバイトしたり、市民活動のなかに仕事探しをしてみたりと支離滅裂な生活。

しかし、還暦近くになると、ふと考えた…さて、自分の夢とは何だったのだろう? 何のために生きてきたのだろう? と考えるようになった。それでも何をするでもなく、ダラダラ生きてきた。気づくと還暦を迎えてから5年も経った。

さて、人間は夢を持って生きるべきなのか? そしてまた、夢を実現せずに死んでも良いのだろうか? これじゃあ、あっという間にあの世行きだ。そこで考えるだろう。結局は、現実の夢も、眠ってみる夢も同じじゃないか。生きるものは死んだらおしまい。夢を叶えるというのは、多くの人々によって選ばれた者たちに与えられた特権だ。

ただ、夢を叶えた者だけが、死んだあとも多くの人々の夢を魅了するのだ。 


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