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ディレイな涙

2015年1月9日のちょうどお昼頃に母が死んだ。

「一般的には早朝や深夜に死ぬのに、なんで、あんたは青天の真っ昼間に死ぬのだ?」と思ったら涙も出てこなかった。母が死んでも泣けなかったのだ。妹は泣いている。それが医師や看護師を前にしてのことなので芝居じみた妹の姿を見て「(男女差別ではないが)こんなときには女は便利だな」と心の中で笑ってしまったのだった。

母の遺体をしげしげと見ても、無事に葬儀を終えて、火葬場の煙を眺めても、それ以降も、母のことを考えて泣くことはなかった。ただ、その数ヶ月前(2014年10月)に死んだ義父のことを考えたら、おおいに泣けるのだった。義父が好きだったチェーン店の「野菜たっぷりちゃんぽん」を、イオンのフードコートのテーブルで食いながら顔がぐしゃぐしゃになるほど泣いたのだった。

昨年、母の七回忌を妹が一人でおこなった。電車で2時間ほどの距離にいるのに新型コロナの騒ぎで出席できなかったのだった。というか死んだ母の儀式など“金ばかりかかって無意味だ”と考えてもいた。人が死んだあとのことなどどうでもいいではないか?僕の感情は無駄なものには動かないのだ。

「それが泣けない理由なのかもしれない」と思った。泣くなど人として無駄な行為ではないか?無駄なものに感情を動かされる必要はないのだ。

それなのに義父のことを考えて泣けたのは何故だろう?それはきっと彼の娘である僕の妻を不幸にしてしまった引け目からなのではないか?と考えた。きっとそうなのだろう。

正月に「既に母は死に、父に育てられている小さな娘。その父もスキルス胃がんで余命僅か。そこにひとりの女性が現れて、父は彼女に娘の育成を委ねる」というドラマの再放送を観ていたら、何故か“死んでから6年も経った現在”に至って、母の様々な記憶が頭に浮かんできて涙が溢れてきたのだった。

死んでから6年も経ってから母のことを考えて泣く僕はおかしいのだろうか? 多分、おかしいのだろう。しかし、大きな腫れ物が破れて膿がドッと出てきたような「スッキリ感」が全身を覆うのだった。ようやく母の呪縛(悪い意味ではない)から解放されたのだ。これからは素直に泣けるような気がする。

ただし、もう身内が死ぬのはまっぴらごめんなすってである。




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