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カルチャースクール4「母」

昨日はカルチャースクール講師の日でした。熱波の中をスクールまで15分歩いていきました。熱中症対策としては濡らした冷感タオルを首に巻き、塩分と糖分がほどよく混ざった飲み物を飲みながら歩きました。

前回は出席者がひとりだけでしたが、今回は3人揃いました。ほっと一息。さて、お馴染みの「最近の出来事」を語っていただきます。

Aさんの出来事

コロナのためにテレビを観る時間が増えた。なかでもオリンピックの開会式が面白く、世界にはたくさんの国があるんだなと気がついた。競技では選手たちの靴に注目した。派手なものがあり。スパイクありなど競技種目によって種類が違って面白い。

イオンシネマで映画「ジャングル・クルーズ」を観た。映像がきれいで楽しめた。内容は、真面目に観ると幻の花を探すというのがテーマで、途中でドイツの潜水艦が出てきたりして面白かった。

Bさんの出来事

オリンピックのバレーボールチケットが当たって観戦を楽しみにしていたがコロナで無効になってしまった。息子さんと一緒に観戦しようと思っていたが、政府のやり方が気に入らないから行かないって言いだした。私がひとりでも行くと言っていたのだが、結局はダメになってがっかりした。初めは無理矢理強行された五輪への反感が強かったが、いざ、始まってみると、正々堂々とした選手たちの姿にの感動した。

Cさんの出来事

今回のオリンピックで思ったことがある。日本はオリンピックへの放送出資額が世界で2番目だという(注:本当のことなのか確認できていません)。

ベラルーシの亡命する選手事件なども深く考えるところがある。

それに期待されていた選手たちが活躍できなかったのが残念。選手たちは大会に向けてモチベーションを試合までもっていかなくてはならないのだと思うと大変だなと思う。金メダルをとった選手たちは、まだ子どもであるからか競技への緊張感がない。楽しんで競技している。彼ら彼女らを観ると、人生楽しいことがあるのが羨ましい。オリンピックの善し悪しは別として、若者の精神を学べたことが収穫だった。

AさんもBさんもCさんもオリンピック観戦に夢中になっていることがわかります。開催の善し悪しは抜きにして、“普通の人”ならば、政府の狙い通りに流されて観てしまうし、感動してしまうものなのですね。

それから前回「母」というテーマで受講生さんたちに書いてもらった文章の修正箇所について解説しました。3人いれば、それぞれに母に対する思いは異なります。視点も違います。それが面白いのです。

今回は、本人に了解を得て、Aさんの文章(修正済み)をご紹介します。

「母」

 平成30年11月初め、特別養護老人ホームに入所していた母が亡くなった。90歳だった。認知症と骨折のために何も食べられなくなり、ほとんど眠っているという状態が数日続いた。
 施設では、“万一の場合を覚悟する必要がある”と判断し、私たち家族の3人が呼ばれた。担当医師は、「人工呼吸器や点滴で栄養を摂取する延命措置をこのまま続けるのかどうか。措置をしない場合は、これから一週間、酵素吸入だけで対応する」とのことだった。要するに自然死を待つ事だと理解して、私たちは延命措置をしないことに決めた。一週間という時間の意味に多少違和感はあったが、それから一週間後、私達が見守る中で母の酸素吸入器のスイッチが止められた。
 母の呼吸は次弟に回数が減っていき、数分後に止まった。
 「母は、もう自分では呼吸ができない状態だったのだ」と、医師が言った一週間の意味が理解できた。点滴もはずされた。静かだった。痛みも苦しさも無いようだった。安心した。そして涙があふれてきた。

 何が悲しかったのか? たぶん…「時間は戻らない」ということだと思う。

 私の父は肝臓がんで入院した病院で78歳で亡くなった。この時、私が臨終に立ち会えたのは今思うと幸運だったと実感する。その時の父は意識がしっかりしており、父は最後に私たちに向って「みんな仲良く」と言った。私たちは「わかったよ。 さようなら」と答えられたことで別れを受け止められた。
 しかし、母の場合は違った。施設入所以前からほとんど会話ができなくなっていて、「イエスかノーか」くらいの意志の確認と表情の変化を探って気持を推測するしかなかったから、最後の時に何か言いたかったのか、言いたい事があったのか、全くわからない。

 生前の母は頭が良く、おしゃべりで、登山やダンスに絵や習字と多趣味で、明るかった。あの頃の母の姿と認知症を病んでからの母の姿は、私の中でつながらない。10年間で徐々に進行していった認知症を病んでいた母への私の対応の仕方に悔やまれるところがたくさんある。

 私の後悔はこれからも続くだろう。

*……

初回には文章の書き方を教えることもなく、突然、課題を出したので「書き方がわからなかった」と言うので、「いいんですよ、皆さんの感性を確認したかっただけですから」と言うと「なるほど…」と納得してくれました。

さて、Aさんの文章は、自分の母が亡くなる→死に目に会えなかった→父の死に目には会えたのに→母の死に目に会えなくて後悔している…という内容ですが、元原稿は、ほとんど改行がなくて、文章が塊に見えて読みにくいし、書くうちに感情が溢れてきたのか、あちこちに話が飛んでしまい、結末の印象も薄くなってしまった印象があります。そこで隙間を埋めて内容を整理して修正しました。

「講座では褒めることしかしない」と言ったはずなのに、なかなか褒めずに上記のようなお話をしていたら、教室内に陰気な空気が満ちてきたので「あ、褒めなきゃ」と思って「僕もAさんと同じ経験をしましたから事情はよくわかります。この文章には、その状況が良く書かれていますよ」と、何だか取って付けたような言葉しか出なかったのです。Aさん、ごめんね。

つづく

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