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父の夢

小学生くらいから漫画家になりたいと思っていました。でも、絵が下手だったのと物語を作るのが苦手でしたから漫画家にはなれませんでした。今でも絵が上手だったら、いや、それでも描き続けていたらな…と悔やんでいるのです。多分、飽きっぽい僕は、漫画家にはなれなかったと思いますがね。

僕の父は建設会社の営業として生涯を終えましたが、絵描きか小説家になりたいと考えていたようでした。僕が小学生のときに校内で絵のコンクールがあったのですが、僕が「上手に描けないから描きたくない」と言うと、ニコニコして、僕の代わりに消防車の絵を描いてくれましたが…これが金賞になってしまったんです。

教師だけでなく同級生からも「これは本当に君が描いたのか?」と疑われましたが、そんなこと僕は気にしません。父の絵が金賞になったのですからね。青森市に住んでいた頃に父が書いた文章が地元の新聞に載ったときは、凄く嬉しそうでした。父は絵も文章も上手でした。その才能を僕は受け継げなかったようです。

そんな僕が暇に任せて漫画を描き始めて、何度か選外佳作になったり、美術研究所の方紹介でデイリースポーツのイラストを連載し始めたときに、父は表情には出しませんでしたが、喜んでくれていたようでした。

それから2年後には、下手くそな絵に見切りをつけて出版社勤めを始めるんです。「うちの息子は出版社で記者をしている」と親戚に自慢げに電話しているのを見たことがあります。僕が「小さな出版社で広告営業も兼ねているから自慢できる仕事じゃないんだよ」と言うと、「それでも立派な仕事じゃないか」と嬉しそうに笑うんです。

その20年後に、父は74歳で急死するのですが、葬儀を終えて父の荷物を処分していた妹が、たくさん新聞が入った包みを見つけました。

「お兄ちゃんの新聞だよ」と言って、妹からそれをポンと渡されたんですが、中身を見て驚きました。僕がデイリースポーツに小説の挿絵を描いていた2年分がまとめて保存されていたんです。

映画やドラマでは、よくある話かもしれませんが、「親が子を思うってことは実際にあるんだな…」と妹に言うと「パパはお兄ちゃんに絵描きか小説家になってほしかったんだよ」と泣くんですね。僕は恥ずかしかったですね。父は自分の夢を息子の僕に託したのでしょうが、それを実現できなかったのですからね。残念ながら僕には子どもがいませんから、夢を託す相手がいないのです。

父の夢は永遠に叶わないのです。

*写真は、父が保存していた僕の絵が掲載されたデイリースポーツです。


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