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袋小路

ポスティングのアルバイトをしているときの話だ。ポスティングは、地元のフリーペーパーを配布する仕事だが、僕と田辺さんと香村さんの3人で行っていた。ある日、午前の配布を終えて事務所で歓談していると、香村さんが不思議な体験を話し出した。

「田辺さん、袋小路の奥の袋小路に入ったことがありますか?」

「え?袋小路って路地の突き当たり…行き止まりのことでしょ?」

「そうです」

「行き止まりだから、その奥には入れないでしょ?」

「袋小路の奥に袋小路があるんです」

「はは、確かに行き止まりだと思ったら細い路地があって、その奥が行き止まりだってことはありましたけど…」

「そう、そういうことはよくありますよね。でも違うんです。行き止まりだと思ったら、そこに別な袋小路があったんです」

「そんな袋小路があるんですか?」

「あります…いや、ありました。一箇所だけあったんですよ」

「え…ということは今はないってことですね?」

「はい、揺谷(ゆるぎだに)3丁目にあった袋小路です」

「市内の再開発でなくなちゃったんですか?そんな工事してたかなぁ?」

「いえ…いきなり、なくったんですよ」

「そんな馬鹿な…香村さん、からかうのはやめてくださいよ」

「ところがあったんですよ。間違いないです。恐ろしかった…」

「恐ろしかった? そこで何かあったんですか?」

「出られなかったんですよ」

「袋小路からですか?元来た道を戻るだけじゃないですか?」

「袋小路が延々と続いていたから出られなくなったんですよ」

「でも最後は行き止まりがあるでしょう…」

「ありましたよ」

「ほらね…そこが本当の袋小路なんですよ」

「はい、でも、そこは…墓地だったんです」

「墓地?揺谷にはお寺も墓地もないですよ」

「でも、そこは確かに墓地だったんです。しかも、もの凄く広大な墓地だったんです。恐ろしくなって引き返そうとして来た道を振り返ると、そこも墓場だったんですよ」

「そんなバカな…」

「本当なんです。僕は、いつの間にか広大な墓地の中に迷い込んでいたんですよ。その大きさは万単位の墓石数を持つ青山墓地とか谷中墓地なんて比較にならないほどでした」

「そんな広い土地はこの街にはありませんよ。見間違いでしょう?」

「いいえ、間違いありません。僕は出口を探して、墓地の中をさまよい続け、どうしても墓地から出ることができなかったんです。すると、そのうちに人の声が聞こえたんです」

「墓参りに来た人たちですね」

「いいえ、違います。人の姿は見えませんでした。耳をすますと墓の中から声が聞こえるんです」

「墓の中から?」

「そうです。声が聞こえたのは、聳えるように巨大なお墓でした。ああ、五輪塔…というのでしたっけ。その中から聞こえたんです」

「声は何と言っていたのですか?」

「お前じゃない、早くここから出て行けと言っていました」

「お前じゃない?」

「はい、確かにそう言っていました」

「それからどうなったんですか?」

「突然、車のクラクションの音がして…」

「クラクション?」

「はい、その音で目の前がパッと開けたんです。すると、僕はいつの間にか揺谷3丁目の交差点の真ん中に立っていました」

「はは、いかにも作り話って感じですね」

「ふふふ、本当ですよ」

「その含み笑いが嘘だってことですよ」

「ははは…」

その日は香村さんが、自分の作り話として否定しなかったので、僕も田辺さんも笑って済ませたが、それから数日後に奇妙なことが起こった。田辺さんがポスティング中に行方不明になったのだ。田辺さんは妻帯者だが、地元の女子高生と淫行ののちに不倫していて、多額の借金もあったようだ。それが原因で失踪したと噂された。しかし、不倫相手の女子高生は一緒ではなかったようで「自殺した」「ヤミ金業者に殺された」と尾ひれの付いた話まで飛び出した。

香村さんは蒼白した顔で「墓地に迷い込んだのかも?」と言った。

「あれは香村さんの作り話なんでしょ?」

「いや、本当の話だよ、キミも揺谷3丁目の袋小路には注意した方が良いよ」

「え、揺谷3丁目の袋小路って、もうなくなったんでしょ?」

「そうなんだけどね。でも、気持ちが悪いから、田辺さんに揺谷3丁目を担当してもらってたんだ。田辺さんには悪いことをしてしまった」

「そうなんですか?」

「本当に気をつけてね」

翌日、香村さんはポスティングの仕事を辞めた。それから僕一人でポスティングの仕事を続けることになった。一人では事務所に帰ってからの雑談がない分、寂しくなった。僕もそろそろ辞めようかと考えながらチラシ配布をしていると、いつの間にか揺谷3丁目まで来ていた。揺谷という地名とおりに谷になった傾斜地に住宅が並んでいる。

「香村さんが話していた袋小路があったところだな?」

揺谷を歩きながら住宅のポストにチラシを差し込んでいく。どのくらい歩いたろう? 気がつくと知らぬ間に住宅地の突き当たりに来ていた。驚いた。そこは袋小路だったからだ。「揺谷3丁目の袋小路には注意した方が良いよ…」香山の言葉が聞こえたような気がして周囲を見回した。

「しまった…香山さんの話は本当だったんだ」

僕は広大な墓地の真ん中に立っていたのだ。目の前には巨大な五輪塔が聳えていた。そして地の底から響いてくるような声が聞こえた。

「お前だ…」

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