家長むぎは問う「頭がいいとはなにか」

結論:頭が良いとは。「頭の形」である。

哲学系(仮称)vtubarの雲井 鳴です
正直、哲学が好きで読みふけっているわけでもないのですが
「君は概念的だね」と言われたのをきっかけにしばらくは哲学系で行こうと考えました。

というわけで、折角哲学系だと自称するならば、一つくらい考えてはどうだろうという事で、今回の「頭がいいとはなにか」について自分なりに答えました。ポジティブな結論になりましたので少しほっとしています。

因みに嫌いな言葉は「人は考える葦」です。
葦に失礼だからです。

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価値と意味を見つけられることこそが人間の第二の本質であり、その他の動物に無い「唯一」であるのも事実。

■だれかの為の頑張りは、その誰かには分からない。
故にお金という共通価値を生み出し、「頑張り」「働き」をこの世界に具現化した。

■僕らは良し悪しが分からない。
だからこそ常識という概念を生み出し、人をはかる物差しを作り
人の差異を時に喜び、時に妬む事が出来るようになった。
つまり人に個別事の関心を理性的に持てるようになった。

概念は概念を生み、時に物質化し、時に見えぬ形で支えとなる
投げ銭という実質的な支援も、精力的な応援のコメントもまた同価値基準にのるように。
主観を歴史として語り継ぐに至る事は、人間だけの個性だろう。

生物的には無意味で無価値である。
しかし意味ある価値を開く動作は
矛盾こそ人間性であると呼ぶにふさわしいだろう。

人は“無価値”と“無意味”に“意味と“価値”を付けられる稀有な動物である。

結局人間の活動自体は、人類以外に利益をもたらし、それらと共通価値を生めていない限りは無益であり、自慰行為から抜け出せない。

故に、人が生み出す全てのサイクルに置いて、
ただただ本質的に良いも悪いもあろうはずもないわけである。

家の中でただ一人、誰にも悟られず折り紙を折り続けるかの如く。
そこに強みも弱みもあるのかと問われれば、「無」であるというのが答えなのではないだろうか。
「他者と交わらない」とは人間社会ですらそうなのだから、「地球」で見れば人間も孤独のトであろう。

人の気持ちが分からず、分かりもせず、分かった気になり。
無を知っているにも関わらず、自らを無知だとありもしない劣等を抱き。
悟りを開いたように感じる事もあり
年甲斐もなく、あるいは年齢相応に価値観が浮き出し
理性と感情の狭間でおぼれるが如く感情はまさに矛盾の連続である訳だ。

故に、「頭の良さとは何か」に対し。
「頭の形」であると確信する。

頭の良さとは
己を紐解ける人間も、
他者を尊重できる人間も、
新たな価値を生み出せる人間も、
人に勇気を与えられる人間も、
動作的に知能的に優れた人間も、

どれもこれも該当しないし
それら全てでもあると考える。

それが頭が良いと思うなら「良い」し
それが頭が悪いと思うなら「悪い」と思うし


それがその時々時代人種世代に限らず
その人物が良いと思うのであれば、正に正である。

矛盾こそ人間性であると考える。
表裏一体ともとれるが。
頭の形をどう捉えるかもまた人によるだろう。

ーーーーーーーーーーーー
おしまい。

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