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ひとつの太陽 / A Sun

原題:陽光普照(A Sun)
製作国:台湾(2019年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:チョン・モンホ
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父:アーウェン
母:
長男:アージャオ
次男:アーフー
アーフー妻:シャオユー
アーフーの悪友:ツァイトウ
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鑑賞後に以下ネタバレを含みます。監督が何を描いていたのかぼくなりの解釈を示しています。ぼんやりした感想や解説が多くどれも腹落ちしなかったからしばらく考えていたのです。以下の解釈でモヤモヤがだいぶスッキリしました。

太陽といえば男性や父の象徴といわれる。だから男性的な家父長的な価値観が描かれているのだろうとすぐわかった。ただこの脚本がどのように描こうとしているのか初めはわからなかった。

この映画の謎として兄アージャオの自殺がある。彼がなぜそれを選んだのかがわからない。努力家で頭も見た目もよかった。でもこの世界が続くことが嫌だったのだろうとしかわからない。彼がつぶやいた司馬光のかくれんぼの創作話があった。それは、子供の頃の司馬光は友達とかくれんぼをする。全員発見された後に司馬光はいう、もう1人いるはずだと。みなでしばらく歩くと大きな水瓶があり、そこに石をぶつけるそこには子供がいて、それは司馬光だった。この話は司馬光は彼自身を重ねている。人様が見ている自分は、自分でない。本当の自分は人の知らないところにいる。それを知るのは自分だけである。

父が毎年のように贈る「今を生きろ。我が道をゆけ」と書かれた日記帳。アージャオはそこに記すことはなかった。この威勢のいい言葉は、アージャオにとっては投げ出されたも当然といえる。人はあるべき姿、本来性を意識した時から、苦しみが始まってしまう。「我が道」という言葉にはいろいろなものが含まれる。父アーウェンが言う「我が道」には、彼の価値観とともに放たれる。受け手のアージャオもそれを感じつつ、さらに自分の価値観をさぐり、本来あるべき姿を模索しなければならない。

教習所講師の父と、水商売の専属美容師として働く母、そのような決して裕福ではない家庭から医学部への進学を期待されている。その全てが重荷だったのだろう。

この映画はアーフーは犯罪を犯すという、アーフーのどん底から始まる。少年院での試練に耐え社会に復帰する。復帰して仕事探しに苦労し、何とか仕事を得て軌道に乗り始めたころ、悪縁が忍び寄る。ツァイトウはアーフーの弱みに漬け込みながら、再び自分の世界に引き込もうとする。アーウェンはアーフーを息子として認めていなかったし、彼の社会的立場はいつまでも影だだった。でも母やアーフーの妻シャオユーにとっては大切な存在だった。

この映画はアーフーが主役のように思えた。でも前半はアージャオ、後半はアーフーの話のようにも思える。でもこの映画の主役は父アーウェンだ。だから太陽なのだ。

父はアージャオには、肯定するだけで何も言えなかった。一方で、アーフーには否定するばかりだった。アージャオの生前から自分の息子はひとりと話していたが、アーフーは社会的に存在しないこととしていた。でも、アージャオの死後、努力するアーフーををみて認め始めた。隠れてアーフー監視して、結果的にそれがアーフーを救った。決して善い方法ではなかったが、自分が悪事を引き受けることで家族を救った。最後の場面はアーフーと母の二人乗りで終わる。父はいないが、心地よく照らす太陽として描かれているのだと思う。

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