面倒臭いの悪魔
奴が来た。「面倒臭いの悪魔」即ち「鬱」である。
ここのところは調子が良いを通り越して躁状態にありやたらとアクティブに過ごし散財気味であったのだが、どうも最近は何をするにも少々「面倒臭い」。
この「面倒臭い」という感覚が実に厄介で、極まるところまで行くと風呂はおろかトイレにもなかなか立てなくなる。当然、頭も働かない。否。頭が「働かない」というと語弊があって、人生の先々に無駄な不安や焦燥、無力感ばかり募らせ眠れもせずただ布団に横たわるだけの日々が続く。
故に、このたった今察知している「何もかも少々面倒臭い」という鬱のシグナルに対してどう対処するかが早急に求められる現在である。
経験上、この「何もかも少々面倒臭い」という微弱なシグナルを放置するとよくない。鬱の底に落ちていく加速度が高くなるきらいがあるし、寝込んでいる間にやらなければならないことも溜まる。それがまた自責に繋がり、鬱状態を悪化させるからだ。
かといって鬱モードに入りかけた今、無理は禁物である。焦ってことを仕損じても自己嫌悪から鬱は加速する。不注意と開き直りの達人たるこの私をしてもだ。
特に今の「躁」と「鬱」の境目、これを混合期というのだが、この間は気分はネガティブで「鬱」だが思考や意欲は高く「躁」の状態というある種あべこべな状態になり、希死念慮から自殺企図のリスクが高まる。現に、私が以前オーバードーズをしてしまったのもこの混合期のことであった。げに恐ろしき混合期。鬱状態の時の方がこのリスクが高く思われがちだが、鬱状態ではそもそも意欲が著しく低下しているので何を起こす気力もないのが実際のところだ。(無論、例外はあろうが)
気付けば長いことこの双極性障害という持病と付き合ってはいるが、なかなかどうして未だ御し難い。聞くところによれば、寛解期はあれど再発率が高く、薬とは一生の付き合いになることも珍しくないそうだ。
まあしかし、薬を飲んでいれば症状が抑えられるのならば飲むに越したことはなかろう。ガン等のように、その病自体が直接の原因で死ぬような類の病でもないのだし。
ひとまず、本格的な鬱状態に陥った時の焦燥感や自己嫌悪から逃れるため、週に一度月曜日にアップすると決めたこのエッセイは書ける時に先々の分まで書き溜めておこうと思う。経験上、たとえどんなに小さなことであっても成功体験は一番の抗鬱薬だ。あと今できることといえば、積んでいる「テニスの王子様」をなるべく読み進めることと夕食の簡略化くらいか。作り置きは、少々荷が重い。
しかし上記のように「達成できそうなこと」を抽出してみると、如何に自分が悠々自適に良い身分でいるかが分かる。夕飯の作り置きくらい、できて当然なのではないか。(鬱)
雇用保険が切れる前に仕事も見つけたいし、10月には引越しがあるので早めにその準備も進めなくては。(躁)
……ご覧の通り、見事な混合症状である。薬は引き続き夫の管理下に置いておくのがよかろう。
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