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この週刊エッセイを公開し始めてから、この記事が四週目になる。これをもって無事、三日坊主ならぬ三週坊主を回避できたのは喜ばしい。これもひとえに有り余る暇と処方薬(処方薬は余らすな)、そしてnoteにてスキやX上でいいねをくださる読者方々のお陰である。ここに感謝の意を表したい。 ありがたいことに今週はマシュマロにてテーマのリクエストがあったので、それに準じて記事を認めていこうと思う。そのマシュマロがこちらだ。 リクエストのほど、そして体調へのお気遣い誠にありがたく存じる
ある歳上のBL作家の先輩がかけてくれた言葉がある。 「ばきさんはこれからの人じゃない」 申し訳ないながら、私はこの言葉が全く腹落ちしなかった。 これから? 私はもうすっかり「余生」の世界にいるとばかり思っているのに。 しかし人生百年時代。確かに三十八歳というのはまだまだ折り返しにも満たない年齢だ。まあ折り返しの五十歳を過ぎたあとの健康寿命は実に気になるところであるが、確かに三十八歳というのは「これからの人」なのかも知れない。 さて。「これからの人」である三十
高校時代。私には「無頼」への憧れがあった。 ちなみに辞書によると「無頼」とは 正業に就かず、無法な行いをすること。また、そのさまや、そのような人。「—な(の)輩 (やから) 」 頼みにするところのないこと。 「単孤—の独人になりて」〈十訓抄・二〉 ということのようだ。ここで私のいう「無頼」とは無論、1のことである。 当時、私自身はスクールカーストの下から二〜三番目あたりのド陰キャであったにも関わらず、なぜか「無頼」としか呼びようのない友人が複数いた。夜な夜
二〇二四年五月六日月曜日。くもはばき、三十八歳になりました。 つい先日まで「ああ、誕生日が来たらもう三十九か……」と自分の年齢を勘違いしていたのでこれは嬉しい誤算。あと一年猶予があるぞ。(なんの猶予だ) さてこのマガジンであるが、毎週月曜日につれづれなるまま書きたいことを書いていくものにしていこうと思う。日記ではない。なぜなら毎日特に何も起こらないからだ。 朝は八時前に起きて、ソシャゲのデイリーをこなし、あとは一日ぼーっとして寝たり起きたりしている。余力があれば本を