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コロナで結婚式観が変わった話②

(①を書いてから1年近くあたためてしまいました・・笑)

前の記事①で書いたように、コロナ禍での親族挙式を無事に終え、後日予定していた友人向けの披露パーティーは中止にした。
今後やるかはまだ決めていないけれど、ある程度落ち着くまではやらないつもりでいる。幸い、妊娠や出産の予定もまだないので、もしやりたくなったら、1〜2年以内にできたら良いな〜くらいに暢気に考えている。

まず、私たちが「延期」ではなく「中止」を選んだ理由。
もちろん、契約していた会場にも延期を勧められた。延期だったらお金がかからないけど、キャンセルだとお金を頂くことになる、と。ふんふん。契約した頃は、「キャンセル規約」とにらめっこするなんて、想像もしてなかったなあ、なんて。
延期も考えなくはなかったけど、延期したとてコロナが収まっている確証はないし、再延期の可能性もある…?そんなの疲れるわ。それから、1回結婚式を経験したことで、どこに拘りたいか、価値観も少し変わっていたこともあり、抑えていた式場より良い所あるかもね、という話にもなって、中止を選択した。

中止の決断をしてしばらく経った今の心境は、
「一旦、中止にして良かったな」

というのも、式場を契約した頃の私は、俗に言う「ウェディング・ハイ」になっていたのだ。
SNSでの結婚しましたアピールとか、そういった類のことではないけれど、来る結婚式を妄想して脳内お花畑みたいな、そんな感じ。
結婚式でみんなに囲まれてケーキカットして、良い感じに出来上がったムービーを流して、友達にスピーチしてもらって、綺麗に着飾った姿でみんなに写真を撮ってもらって…。
来てくれる人の負担を減らす為に会費制にして、還元度の高いお料理はこだわろうとか、1人1人にメッセージカードを書こうとか、お話する時間をたくさん作ろうとか、そういうことも旦那と相談はしていたけれど、私の妄想は専ら、上に書いたような「自分本位」なこと。綺麗な姿で、良い感じのムービーを流して、自分にとって都合の良い、見られて気持ちの良い所だけを切り取って見せるような、そんな式を妄想していたと思う。

こうやって、ウェディングハイになっていた自分自身を冷静に見れるようになったきっかけは、家族挙式や過去に参列した結婚式で感じたこと、ネットで色んな人の結婚式観を調べたりしたことだったと思う。コロナの影響で中止を選択して、こうやって冷静に考える時間を持ち直せたのはとても良かったと思っている。

調べた中で、特に印象的だったのが、テレビ朝日の弘中アナの雑誌hanakoでの連載で綴られていた文章。
https://hanako.tokyo/column/inside-of-ayaka-hironaka/113262/
彼女は記事の中で、「アンチ披露宴」で、「新郎新婦を祝福する」という目的に対する手段として「披露宴に出席する」が最適なのか、という疑問を持っていると言う。
(以下、一部抜粋)

新郎新婦と話したいのに席は離れているし、話せるのは一言二言。大事なのは双方の気持ちが伝わるかどうかなのだから、別に場所も時間もどこでもいいはずで、ちゃんと表情がわかる距離で、たくさん話して伝えたいなあと思う。何もかも直接聞いた方が、温度は伝わってくるもの。これまでの道のりを都合よく編集したものではなくて、色んな角度から聞いた方がいいに決まっている。破局の危機はなかったのか、家族とはうまくいったのか、本当の決め手はなんだったの?そんな話をたくさん聞きたい。2対何百のコミュニケーションではなく!

また、過去に参列した時には、
どうしても新郎新婦との温度差を感じてしまうこともあったし、
3万円ってやっぱり高いよな、引き出物のカタログから無理に選ぶくらいなら、その引き出物代差し引いた金額にして欲しいな〜なんて思ってしまったこともあった。

その場での楽しさ、幸福感ももちろんあるが、
「その日限りの非日常的なイベント」感に違和感を抱いてしまうのだと思う。

もしやるとしたら、日常の延長で、かつしっかり感謝を伝えられる距離感を作れる、披露宴がやりたいと思う。


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