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子どもが「生きづらさ」を抱えるとき

子育てをする中で、「あのとき自分はどうだったかな」と子どもの頃をよく思い出します。すると、今は毎日が楽しくて仕方ない私にも、たしかに「生きづらさ」を感じていた時期があったんですよね。

小学生だった私は、正直優等生でした。勉強も運動もなんでもでき、当たり前のように学級委員になる。親も先生もできて当たり前と思っている。私はそんな毎日が息苦しかった。行事で代表に選ばれるたびに、学校が火事になればいいのにと思ったりしました(笑)。

期待に応えなくちゃいけない、できる自分でいなきゃいけない。それが私が感じた最初の「生きづらさ」だったと思います。

中学生になってからも、それは変わりませんでした。だんだん親と口を聞かなくなりましたが、それでも勉強も部活もきちんとやらなくちゃいけないと思っていました。自分には、それしかできなかったんですね。

「頭いいんだから、試験勉強しなくてもいいじゃん」と友達によく言われましたが、「人より勉強してるからできるんだよ」って心の中で思っていました。なんともこじらせた感じですが、その会話をすごく鮮明に覚えているので、たぶん自分の中の「生きづらさ」を象徴するシーンなのかもしれません。

高校受験のとき、私は勇気を出して道を外れてみようと思いました。地域一の進学校ではなく、新しくできたパイロットスクールへ。総合学科や美術科があり、単位制。部活はなく、自立してサークル活動を行う。大人のようにふるまえる子どもたちの学校。そんな趣旨の学校でした。

しかしそこでも私は、生きづらさを感じることになります。そこではみんな勉強ができるのは当たりまえ。好きなことがあり、夢に向かって熱中し、キラキラしていたんです。

やりたいことが見つからない、夢がない。私は、キラキラした友人たちを見て「絵を描いても、写真を撮っても、仕事にはならないよなぁ」なんて冷ややかに見ていました。そう思うしか、自分の生きづらさを隠す方法がなかったんですね。自分に自信がなくなり、よけいに本心を人に話さなくなりました。

特に大学受験を考えはじめた高2の頃は、やりたいことを見つけなくちゃいけない、道を決めないといけないと気持ちばかりが焦り、勉強に身が入らない。やる気が起きない。なんで人って生きるんだろうとか考えてばかりいましたね。今考えても、けっこう闇があったと思います(笑)。

そしてこの生きづらさは大人になってからも続く。。(今回は青春篇でした)

子育てをはじめると、自分のことは棚にあげて、あれやこれやと望むようになります。夢を持ってほしいと思う、もっといろいろ学んでほしいと思う、興味をもってほしいと思う、キラキラ生きてほしいと思う。親ならある意味当然なのかもしれません。

でも、自分の高校生くらいまでを振り返っても、なんともいえない苦しさや生きづらさがあった。多かれ少なかれ、人にはそういう苦い思い出があるんじゃないでしょうか。

だから、せめてそれを心の片隅に止めておこう。いつか子どもが「生きづらさ」を抱えてしまったときに、少しでも理解してあげたい。気づいてあげられる親でありたい。ママもそんなときがあったし、誰でも生きている意味がわからなくなるときがあるんだよって。

そしてそんなママでも、生きていることが今とても幸せで、みんなと過ごせる日々が楽しくて仕方ない。そんな自分になれる。人は自分を変えていける。それを今証明しながら生きているよって。

デジタル社会、変化の時代、混沌の時代、afterコロナ。簡単に生きていける時代ではありません。だからこそ、家族も友人も、社会も。みんなで「生きづらさ」を共有し合って、みんなで支え合えたらいいと思います。

そして今回のnoteは、青春時代の私と同じような生きづらさを抱えた子どもたちや、それを見つめる親世代の方に向けて。緊急事態宣言で社会の状況ばかりが気になる今だからこそ、自分の中にある思いに目を向けてみませんか。


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