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ミュージカル アラバスター 感想

矢田悠祐さんを初めてハムレットでみたとき、私がゼウスなら星座にしている! と思ったものだった。それくらい衝撃的で強く、また永久にしたい美しさだったのだ。 

矢田さんの主演作としてハムレットを作った荻田さんは、アラバスターのロックに矢田さんを選んだ。
荻田さんはゼウスではないが、なるほど、実績と力があるということは、こんな風に矢田さんの美しさと強さを生かすことが出来るのかとまざまざと思わされる、そんなキャスティングだった。

アラバスターのロックに矢田さんが配役されたと知った時、わたしはアラバスターという作品は未読で、とにかく今年も荻田さんの作品で矢田さんを観ることができるということが嬉しかった。
丁度、『舞台 魔法使いの約束』ことまほステ(こちらもまた感想を改めて認めます)を観に行った愛知からの帰路で知ったため、電子書籍で購入したアラバスターを新幹線で読み、だいぶ衝撃的だった。美しく残酷で、ルッキズムに支配された極度のナルシスト。

荻田さんが矢田さんに美しい姿でありながら中身は醜悪で残酷な人間を演じてほしいのかもなあということは、ハムレットを見たときに王妃を責める姿やオフィーリアに皮肉を言う姿で感じていたけれど、再演となったアルジャーノンでもかしこチャーリィの姿にそれを感じた。(もともとアルジャーノンは浦井健治さんに作られた作品なので、もし始めから矢田さんでキャスティングされてたらもっとかしこチャーリィは他人への軽蔑を強調して作られていたかもなとも思う)
正直意外だったが、矢田さんは悪役を演じたことがなかったそうだ。先述の通り荻田さんはそういう役をさせたいのかなという気持ちは作品の端々に感じていたため、初めての悪役が荻田さんの元でよかったなあと思う。

直近だとGREYの蒼生が心の揺れ動きの中の一部として悪を露呈していたけれど、完全な悪ではなく、前を向き、きちんと自分の弱さを認めshiroちゃんとも和解するし、ストーリーも未来を感じる前向きなストーリーであった。
荻田さんもこの作品を観ていて、それを知った時嬉しく思っていたし、元々アラバスターをいつかやりたいと考えていたとき、既に矢田さんはロックの候補だったのだろうと思うけれど、GREYを観た後のキャスティングだったようなので、改めて悪役をやってほしいという決め手にもなったのかなと勝手に考えている。
まだ今年の出演作品はあるが、個人的には2022年のベスト矢田悠祐だったと思う。


そんなわけで『ミュージカル アラバスター』。

初日は色々な衝撃が大きすぎてとにかく、びっくりした、という思いだけで終わった。
人は衝撃を受けると頭の中で情報が整理できなくなるのだということを初めて知った。
初日は自分の目と頭に新しいものを観たからか、わたしも感じ方が整理できていなかったり、また、座組も小屋入りまもないのでまだ青い感じがして、しっくり来ていないような気配も感じた。
実際、稽古期間が短かったというキャストもいたので、まだアラバスターの座組として『完璧』な姿ではなかったのかもしれない。

矢田さんのロックはとにかく、作り物のように美しかった。美しさに説得力があった。
「ぼくは美しい……」「醜いものが大嫌いなんだ!」とナルシズムに溢れて言うロックの見た目に説得力がなければ観ている側も興を削がれてしまうことだろうと思うけれど、贔屓目はあるにせよ前に知り合いが写真を見て呟いた通り、改めて今回もレンブラントの絵画のように美しかった。どの写真を見ても割とそう思うのは、堀りが深くて陰影がハッキリつく顔立ちで、照明の光が当たって顔の上に鼻筋などの影が落ちるからかもしれない。
美しい見た目と反して、言動や行動は原作のロックよりも『ミュージカル アラバスター』のロックは酷い差別主義の人間として描かれていた。

アラバスターという作品の読後は、登場人物に良い人間は一人もいないという印象を持ったけれど、『ミュージカル アラバスター』はロック以外はみんな自分の中の罪と向き合ったり後悔があったり崇めるものや祈りがあったりと、観ている側の心を揺さぶるような背景があった。
亜美も光線銃で人を透明にしてしまい、人としての一線を越えた描写がなかったため、よりその存在が神聖化されていたように思う。
しかしロックだけには一切そんな同情心を揺さぶられることはなく、ただひたすらに見た目は美しいが心は醜い、これが悪魔かと思わせられるような印象を受ける。『ミュージカル アラバスター』で全ての悪を請け負ったのはロックで、それを負った矢田さんの怪演を見ることができたのが手に汗を握るほど嬉しかった。

↑実際汗を掻きすぎてオペグラのロゴが消えた。

『ミュージカル アラバスター』は荻田さんの手により色々な改変があるが、ロックは人間性は変わらずともセリフにかなりどぎつい改変が加えられていた。
湖のほとりの「し〜ん」はどう表現するのか気になっていたけれど、亜美にキスしたあとの、「オマエの口の中に舌を入れると見えなくなるんだなあ!」で原作にない醜悪なセリフにびっくり(興奮)して、その後「し〜ん」があり、ロックが亜美に手錠を掛け「僕は美しいだろう! 良い思いをしたなあ!」と言って出てきたのには思わず唇を噛んだし、その後のペンキシーンは「ペットにしてやろう!」と言っていて白目を剥きそうになった。まあ、そうだな、言わせたい。わかる。
それから亜美が逃げて「そっちは崖だぞー!」の柄の悪い言い方や、亜美が湖に飛び込むのを見て、客席に背を向けていたところからくるっと振り返り、怠慢に髪をかき上げた後の「ちくしょう」は、美しいのに酷いそのバランスが合っているようでめちゃくちゃで息をするのも忘れてしまった。
その後亜美が「残酷でいやらしい」と泣きながら歌っていて本当にそうとしか言いようがないが、いやでも美しいとなってしまうファン心。

2幕でも力仁と対峙したときに「透明人間に美しい肌をプレゼントしてやったんだ!」と言って煽った後、「透明人間も中身は普通のオンナなんだなぁ!」と更にいやらしく煽ったのが、時代とはいえそんなこと兄に言うか、殴られて当然すぎるが……いやあ、そんな台詞まで荻田さん追加しますかという感じでとても良かった。ハムレットのときも「辛い目に遭うほどあられもない声を上げるのでは」と言わせていたけど……うーん荻田さん……
矢田さんが開演前に「実際のロックよりも酷いかも」と言っていたけど見ている側も心からそう思ったし、でもそういうものを演じる矢田さんが観たかった。
裸鏡のシーンは1幕、ロック登場の際になかったので(まあ流石に脱げないよな……)と些か残念に思っていたら2幕でストリップし始めて『裸鏡だ!!!!』と興奮してオペグラしてしまった。背景にプロジェクションマッピングで大きく矢田さんの半裸が映し出される演出はちょっと面白かったけど、臥せ目になりながら頬骨の上に長いまつ毛の影を落とし、シャツのボタンを外して首元から手を入れ、うっとりと肩周りを撫でる仕草は本当にドキドキした。
モデルの御付きをしているロックちゃんは毎回とっても可愛くて、顎辺りに拳を添えて『やだ〜こわーい』みたいにしてるのが愛らしかった。その後アラバスターと対峙した時にポッケから銃を取り出す時の表情の変化が反面人形のそれのようだった。

ロックの歌も好きなものがたくさんあって嬉しかったんだけども、特に力仁に顔を殴られた後の「日本人!」の歌がめちゃくちゃに好きだった。真っ赤な照明で燃えるような怒りは夜の仁王像かよと思った。
荻田脚本ではロックは「母方に日系人の血が混じっていてね。不本意ながら」と語っていたけれど、そういう設定にしたのは、手塚ファンとして間久部緑郎という日本名を名乗らせたかったのもあるのかもしれないし(荻田さんの中で矢田さんがロック・ホームであり間久部緑郎であるということが本当に嬉しい)今回全員が日本人なので、日本に起因する種や執着をロックにも入れておきたかったのかもしれない。
今回の作曲の奥村さんはGLORY DAYSで指導してくれていた方なので音域に合わせた曲になるかな〜と思っていたけど、凄く合っている色んなパターンの曲をくれていて嬉しかった。ライダースで歌うロック調の「美しさが全て 醜いやつはみんな俺に跪け!」みたいな曲も最高に好きだしキンブレを振りたくなる。(なんて曲名だろうと思ったら『ロック』でめちゃくちゃニコニコした)

最後はゲンに自身のアイデンティティである顔をボコボコにされ、自意識の喪失で茫然自失に去っていく。恐らく原作通り城の爆破と共に死ぬのだろうが、最後に死んでしまう作品では毎回思うけど、いつも演技に矢田さん自身の強さが凄く出ているので、あのロック死んでなさそうな気がするし顔を綺麗に元に戻し、アラバスターが残した光線銃を手に入れて、この世で最も最悪な生き物になってそうだなという予感もした。

矢田さん演じるロックは、初日~2日目くらいは20代後半から30代くらいの大人な雰囲気があったけれど、3日目~中日くらいには急に10代~20代前半のような若い少年から青年の間のような演じ方に思えた。特にペンキのシーンでは子どもが笑いながらアリの巣に水を流し入れたり、蝶の羽をもぐ様に無邪気に、そして残酷にはしゃいでいるような様子も感じられて、矢田さんが色々なアプローチでロックを演じているのを観ることが出来てワクワクした。
最終的には無邪気のボリュームは少し抑え目になり、上手く大人の残酷さ、子どもの残酷さを混じり合わせて完成されたように思う。
メイクもまほステの際メイクさんに聞き、研究しながら今回はご自分でされていると言っていたが肌は白くマットに、アイシャドウはくっきりとした二重に乗せた赤が際立つ、まるで球体関節人形のようなメイクで、人間としての質感をそぎ落としているような美しさのメイクで素晴らしかった。それでもステージの上では汗を掻くので、その汗を髪の毛を撫でつけながら拭う姿に、人間なんだなあと当たり前のことに感慨を受けたりもした。

矢田ロックは、衣装として原作と異なり皮手袋を付けていて、基本的には自分自身に触れる以外はそれを取らなそうなのも、見た目が醜悪なものに対しての(特に矢田ロックの場合は自分自身以外は全て醜いと思っているような印象があった)潔癖を感じた。亜美に触れるときは外していたけれど、亜美が綺麗なものと思ったというよりは、姿形が見えないからロックにとっては、みたことがない・触れたことがないものに対しての興味のほうが上回っていたように思う。透明人間で美醜の判断がつかないからこそ、ロックにとっては『人間ではないもの』という認識だったのかもしれない。


矢田ロックのことを書きすぎてしまっているが、作品としても本当に素晴らしい作品だったのでそれぞれの演者の方やシーンについては以下に。

アラバスターの宮原浩暢さんは初めて拝見したけれど、深く響くバリトンの歌声がアラバスターの苦悩や怒り、憎しみを際立たせていてとてもよかった。メタル調がとても良く合う!
「亜美……」の歌声が、亜美に対して縋るようであったり、亜美が透明だからこそ亜美ではない、アラバスターを愛してくれるもの、アラバスターと共に生きるものの概念として亜美を求めているように思えた。
小沢家を離れ、自分の元へ来た亜美には、姿がないからこそ美しい、と言っていたのに、亜美が離れようとした際には私と同じように醜いとその姿を罵っていて、姿がないからこそ、心の変化で感じる美醜が一番良く表れていたのがアラバスターというキャラクターだったのかなと思う。

透明人間の亜美、声のお芝居で参加の涼風真世さんは、初日は『そうきたか!』と思って驚いたが、段々物語とミュージカルをきちんと自分の中に入れ込んでいくうちに、荻田さんの作・演出で声のお芝居で演じる意味を自分の中で消化して、2日目には納得があった。
涼風さんも裏に居て、衣装を着てお芝居をしているという話を聞いたが、リアルタイムでそこに『居る』ことによって、日々変化していったのが流石だと改めて思った。特に、クライマックスでの兄の力仁とのやりとりが毎回毎回ふたりの切なさ、気持ちの入り具合が深まっているようで(わたしの話の理解度も高まっているからかもしれないが)泣かされた。
心も透明になって人形のようになりたい、と思っていた亜美が、ロックの仕打ちで怒りを覚え、最期に身を呈して守ってくれたゲンの愛によって心の美しさ、弱さ、強さに気づき、「わたしには心がある!」と言えるようになった変化は、姿は見えないけれど、しっかりと亜美の成長を見ているような気持ちになる。
矢田さんのロックをみて、荻田さんはやっぱりこういう役を矢田さんにさせたかったんだなあと思ったけれど、亜美のように透明で心の美しい、純粋で、汚されても汚れない強さと輝きを持つ少女を涼風さんに演じてほしかったのかなとも思った。(あとハムレットのときにも何となく思ったけれど、ミューズが罵られる姿を見てみたいというような気持ちも感じる)

ゲン役の古屋敬多さんはゲンの育ちと反して凄くキラキラしていて、ゲンの心の美しさを感じさせるようなお芝居だった。古屋さん、矢田さん、馬場さんのトークショーとカーテンコールでしか人となりを感じていないけど、たぶん古屋さん自身もとても心が真っ新でやさしい人なんだろうなあと思わせる歌声だった。シャワーを浴びている最中に飛び出してきた亜美をみて歌う「君は光だ」のフレーズのキラメキがいつも眩しかった。

力仁役の馬場良馬さんは生でお芝居を初めて見たけど、本当に真っ直ぐで心を傾けるお芝居をする人だなあと毎公演ため息だった。力仁に必要な、亜美を想う心が痛いくらいに伝わってくる。
亜美と対峙する「逃げるなー!」が原作でも凄く絶望的な瞬間で好きなシーンだったけれど、馬場さんの演じる力仁は毎回毎回悲痛で、これから起こることへの悲劇の予感にここでもう泣いてしまった。
ご本人が言っていたように、ミュージカルへの出演はあまり無いようで確かに歌も未成熟なところはあるけれど、わたしは歌のテクニックが必ずしもキャラクターの魅力に繋がるというわけではないと思っているので、とにかく怒り、愛、悲しみ全ての気持ちに誠実な歌声を持つ馬場さんの歌声にいつも涙腺を刺激させられた。
最後の「美しさってなんだ、俺にはわからない!」がこの物語を締めくくる、本当に重さのあるセリフで、馬場さんのお芝居で力仁を観ることが出来て良かったと毎度思わされた。

小沢ひろみ役AKANE LIVさん。幼い亜美を育てようと決めたときの正義感と愛情が、どれだけの生活を捨てて積み重ねられたものだったのかが漫画よりも重たく描かれていて、だからこそ亜美を見失ったとき、失ったあとの母としての絶望が強く伝わってきて、いつも「亜美、お母さんを許してね」というフレーズで泣いてしまった。
小沢家は出来る限りの愛情を注いで亜美を育ててきたのに、亜美を守るための隠し事で亜美を失ってしまった。亜美がもう少し母や兄の気持ちを慮るくらい心の成長があれば違う未来があったのかなあと思ったりする。
それとクライマックスの曲『歪んだ世界』かな?のソロパートの力強さと高音の綺麗さが素晴らしい……! カッコいい……!

マッドサイエンティストや刑事役の治田敦さん。マッドサイエンティストは原作だと完全に研究に狂った男だったけれど今作では娘と孫を思う老人として描かれていて、とても切なかった。孫を返してほしい理由も、愛する娘の忘れ形見だからで、原作では元凶となり、全ての不幸の始まりとなるこの老人に、今作では愛情と後悔が見える分、ロックの異常さが際立つ演出となっていたように思う。

神父や刑事役の田村雄一さん。神父の「助けてください」の圧倒的な歌声! 舞台の流れの中一番最初に透明にされる役目を負っていて、亜美とも対峙する。「目が」のところで亜美の目がセット上でプロジェクションマッピングされ瞬きするのにもドキっとした。神父の祈りが悲痛なほど、アラバスター一味の非道さ、支離滅裂さが伝わってきた。

亜美の母や令子役の遠藤瑠美子さん。亜美の母の気持ちは原作に描かれていなかったので、荻田さんの脚本になるけれど、女として婚約者に裏切られた悲しみ、消えてしまいたいと思い消えることが出来なかった悲しみ、そして知らずに影響を与えてしまった亜美への後悔。ふたりの母の愛と後悔を瑠美子さん、AKANEさんとで歌う様は何度見ても涙してしまった。
令子は高慢ではあるけれど、そうならざるを得なかった悲しい女でもあるように思えて、そもそも佐野次郎に関わっていなければこんな結末にはならなかったのになあとその最後が切なかった。
歌舞伎に疎いので籠釣瓶花街酔醒がアラバスターの元ネタの一部になっているということを知らなかったため、令子と佐野次郎対峙のシーンでの浮世絵の意味がわからなかったけれど、パンフを読んで納得があった。改めて荻田さんのアラバスターの読み込みに唸ってしまう。

亜美の影役の穴沢裕介さん。とにかく美しかった……! 亜美は透明人間だから物理的にはきっと影もないような気がするけれど、心があるから影が落ちる。亜美の心の動きによって体の動きや表現が変わっていき、亜美の声と一体化することで観客側にも亜美の存在感が強く感じられるし、身体表現によってより深く亜美の気持ちが伝わってきた。荻田さんの作品の影のような存在の表現は、アルジャーノンやバーナムでも見たものなので『亜美の影』が出てきたとき、『荻田さんの作品だ』とハッとした。穴沢さんの『亜美の影』は本当に女性のようにしなやかで、目隠ししている(亜美の瞳は舞台上にあるのでその表現だったのだろう)姿は色っぽさを強調させていて、はしゃいでる姿はかわいらしく、見事な亜美の影だった。二幕オープニングの黄色いレインコートを着た姿が毎回本当に可愛らしくて目を奪われた。
ご本人が初日のカーテンコールで「人間ではない役を表現したいと思っていた」と言っていたので、ご本人にとっても素晴らしいキャスティングだったのだなと思った。

佐野次郎役の岩橋大さん。『男』という役柄ではあったけど、舞台をみればそれは確かに佐野次郎で、アラバスターと名乗る前の佐野次郎としての苦悩や怒り、劣等感を強く滲ませた演技をオープニングから見せてくれて引き込まれる。

奥村健介さんの作った音楽は初めて聴いたけれど、奥村さんが好きなのであろう音楽の種類とアラバスターという作品がぴったり合っていたように思えて聞き応えがあったし、自分の中のミュージカルの幅が広がって面白かった。はっきりとわかるメタル、ジャズ、ロックの他にも様々な音楽は楽しかったし、生演奏であったことも贅沢だな〜と嬉しかった。


美しさとは、愛とはなんなのか、ということを考えさせられる作品だったけれど、これは正直一生のテーマになる問いかもなあと自分の中では思う。
顔の造形が美しいひとのことを素直に好ましいと思ってしまうし、矢田ロックに「見た目が美しいことが全てだ!」とあの迫力で言われたら(そうだなあ)と頷いてしまったりと、ルッキズムに支配されてしまっているところがある。
姿が見えず透明であれば醜い、美しいなど、ルッキズムに支配されずに済むのだろうかとも考えたりはするけれど、透明な亜美が最後までそれに縛られながら夕陽に溶けていったことを考えると、そうではないのだろう。
力仁が最後に吐露したように、わたしにとってもまだ「美しさが何かわからない」。

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