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自分にしかできないことを見つけられたら


「今日、休みます」

朝起きて、会社に連絡を入れた。

病欠ではなく、ただ、他にやりたいことがあるからという理由で。


今まで、こんなふうに仕事を休んだことはなかった。

でも、どちらが自分の人生において大切かと自問したとき、仕事を選ぶことはできなかった。





Schroeder-Headzの渡辺シュンスケさんと、絵描きの近藤康平さんのライブイベントに足を運んだ。

前日の夜になっても仕事を休む決心が付かずにいたせいで、前売り券は買っていない。

当日、会場の受付で購入した。


3ヶ月前に初めてSchroeder-Headzの渡辺シュンスケさんを知り、彼のピアノに魅了された。今回ライブペインティングというイベントで演奏することを知った。

絵を描く近藤さんは、渡辺さんのアルバムHALSHURAのジャケットを描いている方だった。

HALSHURAの絵は一目見た時から好きで、その淡い寒色と、どこか空虚感や儚さを感じさせるような雰囲気に惹かれた。


今回の会場となるゲストハウスの壁には、近藤さんの絵が描かれていた。

白い壁に青いインク。
角のある動物が黒のペイントで描かれている。

カリブーだ。

見た瞬間、そう思った。

間違えていたら失礼だなと思いつつ、彼に直接聞いてみると、やはりカリブーだった。

星野道夫さんを思い出した。

壁に描かれているカリブーは、集団ではなく、だいたい1匹か2匹だった。

凛とこちらを見つめてくるカリブーと向き合う。視線をそらせなくなる。

この大自然で何を想っているのだろう。場所はアラスカの雪原のはずだ。

私が日々忙殺され、自分が自然に生かされていることへの感謝の念も忘れてしまっている間、このカリブーたちはアラスカの地で自然の掟に従い、この世に生を受けた意味や役割を果たすため、厳しい環境の中で”生きる”ということをしているのだ。

果たして私は、きちんと”生きる”ということを全うできているのだろうか。その答えに、イエスと答えられない自分がいる。

だから今日、私はここに来ることを選んだのだ。


私が仕事を休んだところで、会社はきちんと回っている。責任がとか、周りへの迷惑がとかは、この際置いておきたい。
この仕事において、私の代わりはいくらでもいる。それは紛れもない事実だった。


この2人がセッションを組むと知った時、彼らは、彼らにしかできない、代替のきかないことをやるのだと感じた。
唯一無二なのだ。

ピアノの演奏はシュンスケさんでなくてはならないし、絵を描くのは近藤さんでなくてはならない。


自分との明らかな違いを感じた。

そして、私も、私にしかできない何かをすることで、誰かの役に立ちたいと強く思った。





シュンスケさんの奏でる旋律は透明よりも透明で、近藤さんが紡ぎ出す自然や鳥や人たちは、どこか懐かしさや憧憬のようなものに包まれていた。





1曲目の演奏、PETALという曲の中で描かれた絵があった。
幻想的なものを感じた。白いワンピースを着た女性が、湖に浮いているように見えた。彼女が足先をつけた水面には、波紋が広がっている。
夜空を見上げ、彼女は何を想うのだろう。そこから月は見えるだろうか。


その姿を、自分と重ねていた。





私は、私らしく生きる。

明日も当然のように生きていると思って毎日過ごしているけれど、それがいつ終わるかだって分からない。

いつかやろうと思ってたことは、ある時気づいたら、きっとできなくなっているのだ。
そして、あの時やっておいたらよかったのにと思うのだろう。







帰り道。今日は、イヤホンで耳を塞ぐのをやめよう。


蝉の鳴き声が心地いい。

空を見上げた。

きれいな満月が浮かんでいた。

彼があの部屋の壁に描いていた、まんまるの月のようだった。3周くらいでぐるぐるぐると描かれた、白い線の満月が、私は大好きだ。


あの絵の中にいるようだった。

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