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心地良い関係

相変わらず早朝のウォーキングは続いているものの、あまりの暑さに何もする気が起きず、ダラダラ生活であります。

でも嬉しい事に先日。長年来の友人(仲間)からのお誘いに、暑さに負けず、ホイホイ出かけたのであります。
楽しかった~♪

私はグルメの口を持つ人でもないので、何を食べても「美味しゅうございますた」状態でありますが、流石にホテルのレストランのランチは、目に美しく、お味もなかなかなもので、何を食べても「美味しゅうございますた」の私の口でも「お~、レベルが違うわい!」と思わせてくれました(笑)


この歳になりますと、お腹いっぱいになる量は、若い時に比べるとドンと減りまして、口の方はまだまだ欲しいのでありますが、お腹の方にストップがかかりまして、悔しいのなんのって・・・

変わりばえのない日常に、取って置きの時間をもたらしてくれた友人(仲間)に感謝一杯です。

友人と言えば、記事にもしましたが、私はあまり友人という言葉を軽々に使いたくない。

普段簡単に使う言葉ですが、それが特別な感情が生まれる元で、がっかりしたり傷ついたり、はたまた煩わしさを感じたり、負の感情が出る事があります。

私は、心地良い関係の知り合いっていう風なのがいいなと思っています。

友人の定義って何でしょう?


この日に誘ってくれた心地よい知り合いは、独身時代に一緒の職場だった同僚であります。

もう何十年も前の・・・ 今も独身時代の旧姓で呼び合う仲間でありますよ。

これを友人と呼ばない? ふふふ、可笑しい?


友人と呼ぶと、私としては甘えが出るかも・・・って思います。
友人だから、許してくれるだろうとか、友人だからこうしてくれるだろうとか・・・

でも、逆にそう思う自分が許せないです。

友人だからこそ迷惑をかけたくないし、許してくれなんていう事態を作りたくない。

勝手に自分に寄り添ってもらうのを期待しない。


そういう意味で、友人って特別な関係だと思い、そんじょそこらに友人は転がってないって思っています。

ワタシ…つらつら考えるに、そういう意味の友人って持っていないかも。

でも有難いことに、心地よい知り合いはこの日の知り合いもいるし、山歩の仲間もいるし、有難いなぁって思っています。

そんなに度々会うわけでもないお付き合いですが、思い出したように連絡をくれて、昔話に興じたり、現在の暮らしの話になったりで、ありふれた日常にキラリとしたひとときをくれたのでした。

こうしてふと思い出したように連絡があるというのは、私という存在がまだ彼女らの中にあるという事で、有難いなぁの一言に尽きます。

私と言えば、もう過去にたくさんの方々を切ってきた。
ママ友であったり、趣味の仲間であったり、・・・
当時は結構な頻度のお付き合いであったと思うけれど、段々と煩わしさの気持ちが出て来たりして、段々距離を自ら置くようになった。

友人という言葉に囚われて、行きたくなくても誘いに乗らなきゃ~って言う義務感?
友人というのは義務感が伴うの? じゃないでしょう?
そんな疑問が出始めて・・・もうこれは友人が破綻してるって。
軽々に友人って使いすぎですって!

そんな私を今回の彼女らは、友人と思って誘ってくれてるのかどうか分からないけど、少なくとも私の存在が消されてないって事で、自分の友人感と照らし合わせて、とても嬉しく思ったのであります。


また会おうねと言って別れましたが、次はいつになるのかな?
コロナ自粛が緩和されてのお誘いなので、3年ぶり? いや、もっと前から会ってないよね。

次に会う時は・・・生きてるかな?(笑)

楽しみに長生きしなくっちゃ♪

Rちゃん、Eちゃん、ありがとね~♪


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