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娘の反抗期が終わったかも説


育児と違って終わりが見えないのが介護と反抗期。

娘の反抗期。

いやあ、本当にしんどかった。
何度、Googleに、「娘、反抗期、小6、いつまで」とか検索したことか。

その出口が見えない長いトンネルのような反抗期。

もしかしたらいつの間にかトンネルから抜け出てたかもしれない、娘高校1年の春。

ヤッホーイ!

なんで抜けれたことに気づいたか?

それは4月下旬の私の誕生日。
なんと娘から誕生日プレゼントがあったのだ。

冷え性の私にもこもこのソックスとアイマスク

しかも、
「お誕生日でしょ、おめでとう」
という言葉を添えて!

驚き、桃の木、山椒の木

なんてもはや昭和ぴーぽーですら誰も言わないギャグが思わず口からでそうになるほど驚いた。

娘中2の時の私の誕生日。

死んだ魚の目をして、とりあえず座るだけ座ったときます。お祝いは本意でないけど

みたいな、感じでしぶしぶ座っていた人と同一人物でしょうか。

娘はそもそもとてもよく気がつく子で、小さい頃誕生日パーティーの企画は彼女が中心だった。

娘が企画した誕生パーティー進行表

上の写真は、娘が小学1年か2年位に企画した私の誕生日パーティー進行表。
入場、記念写真から始まり最後は終わりの言葉まで。

ちなみに演目14番にあるのは、私と喧嘩して、
「ままキライ」と書き込み、その後仲直りしたため後日消されたものである

11番に、「弟によるお笑い」という演目まである。

いきなり姉にお笑いを振られる弟。
お笑いを求めるあたり、関西に生まれた娘のDNAを感じる。

こんなふうに誕生日パーティーの中心にはいつも娘がいた。

それがいつしか、プログラムの進行表がなくなり(たぶん小学5、6年くらい)、果てには死んだ魚の目で家族の誕生日パーティーに出る始末。

もはや、娘からの誕生日プレゼントどころかお祝いの言葉すら期待してなかった。

ところが、である!

大どんでん返しの誕生日プレゼント。

全私が泣いた!

そして弟には誕生日前日に明日ママの誕生日だから何か用意するようにと指令を出していた。

今この目の前の瞬間しか見えない弟は、
やっぱり、すっかり忘れ当日に
「何か用意したの?」
と姉に半ば脅されていそいそと準備。


息子からのバースデープレゼント


当日準備したくせに、
「ママ。ママのことを思ってハートを作ったの。
星にも乗ってるよ、どお?気に入った」
と、母の心を鷲掴みにするボタンがナチュラルボーンに組み込まれている息子。

末っ子の恐ろしさ。いや、力量か。

娘の反抗期が終わった(かも)の要因の1つに間違いなくアメリカ生活があると思う。

日本と違って1人じゃ学校にも行けないような環境。
友達と遊びに行くのも親に送迎頼む必要がある

そんな中で、
自分の力の限界、親との折り合い方を重ね、反抗期が収束していったのではなかろうか。

——

娘が反抗期の時。
幾度と無く、ささくれだった私の心を慰めてくれたのは娘の小さい頃(可愛かった頃)の写真と動画プラスまだまだ幼い息子の存在である。

写真を見ては、
こんなに可愛かったしなぁ
ということを思い出し、
反抗期の理不尽な態度に
怒り心頭しつつもなんとか踏みとどまる毎日。

母の日のプレゼントを準備する愛らしい頃


トンネルの出口もいつかあるのです。
でも真っ最中にいる時は、トンネルの出口があと一歩先にあるのか1億光年先にあるのかわらかないのが辛いのだ。

でもね、反抗期終わった(かも)の爽快感たるやっ。
娘が反抗期真っ最中、同じような体験した人の話を読んではため息がでたり、慰められたり。

私のこの話もどこかの誰かに届いたら嬉しいです。
トンネルの出口もいつかはあると。

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