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就活地獄の中の学び

こんにちは、kumiです。

今回は私の少し変わった大卒就活苦労経験をご紹介しようと思います。

就活スタートのタイミングの悪さ、まさかの世界経済の変化、就活準備の悪さ、自分のメンタル問題と、1年と半年かかった私の新卒就活地獄。結局は些細なきっかけと気持ちの変化によって最終的には内定をもらいました。

その苦行の中で学んだことは、実は今現在の私の仕事に対するスタンスの基礎にもなっています。

就活というとマイナスなイメージが強いですし、私のように不採用通知の山で自信喪失する経験をする羽目になる方もいるかもしれませんが、そこから学べることがある、ということをお伝え出来れば。


1. スタートタイミングの悪さ

大学4年時、私はヨーロッパへの交換留学をしていたために帰国が7月で、同学年のみんなが就活を開始する3〜4月は日本にいませんでした。当時、売り手市場というわけではないですが、就職氷河期と呼ばれるほどでもなかったため、7月に私が留学を終えて帰国した頃には、仲のいい友人達はみな内定をもらっている状態でした。

帰国後に就活サイトなどに登録をしたりはしたものの、春の新卒採用活動は佳境を迎え、次の秋採用を待った方がいいと判断をしました。とはいえ、粛々と秋採用でどこに応募するかなどをぼんやり考えてはいました。

2. 世界経済の変化

私が就活を開始したのは、2008年です(あ、年齢がバレそうw)。

世界経済に詳しい方であればすぐにピンと来ると思いますが、そう、リーマンショックが発生した年です。リーマンショックは9月にリーマンブラザーズが経営破綻したことがきっかけで発生した金融危機で、「秋採用で頑張ろう」と思っていた私には劇的な打撃を与えたのです。

このリーマンショックのせいで軒並み企業が秋採用を中止したんです。大手から中小企業まで、見事に秋採用がなくなり、そもそもの応募出来る先がなくなったので、その分競争率も上がる。最初は頑張っていましたが、早々にこれは無理だ、と思い、親に頭を下げて大学卒業を伸ばし、翌年の新卒採用にチャレンジすることにしました。

3. 就活準備の悪さ

さて、大学5年生になることを決め、でも単位は残るためにわざと落としたくらいだったので、授業もほぼなく、私がいた学部は珍しく卒論制度もなかったため、時間がたくさんありました。

その時間を利用してしっかり就活の準備をしておけばよかったものの、結局中途半端だった私。当時はともかく留学先が大好きで戻りたい一心で、日本で一旦は就職する道を選びましたが、気持ち的には全然本腰を入れられていませんでした。私が行った留学先の国は、就労ビザが取りにくいことで有名で、かつ失業率も高く、国民優先国なために、最終的にその国で働くためには、3つの方法しか私は思いつきませんでした。(1) 一度日本で働いてお金を貯め、まずは学生ビザで渡って大学の入り直しもしくは大学院に入学し、カリキュラムの中にあるインターンを利用して就職先を見つけて後から就労ビザを取得していく方法、(2) 日本の海外勤務のある会社に就職してゆくゆくはその国への海外赴任を目指す、(3) その国の人と結婚して永住権を取得する。なので、(2)の方法を目指して海外勤務がある会社に就職しよう、と思い、安直にメーカーを選んでおりました。

その会社に入ってどんな仕事をしたいのか、何を身につけたいのか、ではなく、その会社に入って海外勤務がしたい、という学生らしく安直な志望動機しかなかった私。なので、ぶっちゃけ仕事内容とかどうでもよかったのです。ただ自分の性格上、経理など正確さと堅実性を求められる仕事は向いていない(現在も向いていないw)し、社内で異動の可能性があるとはいえ、海外赴任にいける部署じゃないとと思っていたので、それに通じそうな職種で応募先を選んでいました。

ちゃんとSPIの勉強やら自己分析の本やらも買いましたが、就職する目的=ゆくゆくは留学先に戻る、だったので、「とりあえずどこかに受かればいいや」という感覚が捨てきれず、買った本すべてちゃんと目を通したものはなかった気がします。今もあるかわかりませんが、分厚い「絶対内定」っていう本とかも買いました。これは自己分析をしながら就活準備をする当時は王道本だったのですが、今の自分から何が出来るか、といった着実な思考回路は当時の私にはなく、ただただ留学先に帰りたいがために、通り一辺倒な自己分析、企業研究もせずエントリーシートなども適当にテンプレートを作って各企業用にもじって使い回しをしていました。


4、メンタル問題

さて、そんな留学先に帰りたいというほんわかして漠然とした目的で企業に入ろうとしているやつが採用されるか?もちろん答えはNOです。

おそらく100社近くエントリーシートを出し、3,4割の企業から一次面接のお知らせが来ましたが(エントリーシートが通ったのも一応それなりに名の知れた大学・学部だったからでしょう)、ことごとく一次面接で落ちる。1年半に及ぶ就活で、一次面接を突破したのはたったの3社。

この状況に陥ると、完全にメンタルをやられました。それなりに中学高校と部活を頑張ってきて結果を出したし、大学ではいろんな活動をし、交換留学も勝ち取ってきたので、それなりに自分に自信があったのも仇となりました。

これだけやってるのにどこも採用してもらえないと、自分は社会にとってほしいと思ってもらえない人間なんだ、と感じるようになりました。

親とちょっと就活の状況を話してるだけで号泣(たとえそれがファミレスとか外でも)、すでに内定をもらって卒業していった友人達も心配してくれて会う機会を作ってくれてましたが、仕事をしているから夜や週末しか会えず、大学の授業もほぼなくて平日は完全に抜け殻状態。

自分の生きてる価値とは?という考えにまで至りました。秋採用を見逃して1学年下の子達と就活するのも辛かったのに、後輩たちもどんどん決まって行く。1人置いてけぼり。

留学をしていた仲間には、私と同じく大学卒業を1年伸ばした人も多かったのですが、面白いくらい2つに分かれ、早々に採用された側と、自分と同じように採用が一向に決まらない側。今思えば、海外への憧れが強い人間程採用が決まらない側にいたような気がします。地に足がついてなかったんでしょうね。


5、些細なきっかけ

気がつけば7月、留学から帰国して丸1年が経ち、リーマンショックで冷え込んだ経済の中での春採用がほぼ終わりかけていました。

一向に内定はもらえないまま、「大学院に進む」という私の中では逃げの選択はしたくなく(何せ勉強を続けたいという分野もなかった)、鬱々としていた折、留学先から外国人の友人が日本に遊びに来ることになりました。

向こうはバカンスで来るので是非いっぱい遊ぼう!という友人のお誘いを受け、就活地獄から離れたかったのもあったため、その友人と8月いっぱい遊ぶことにしたんです。

その際、せっかく遊びに来てくれた友人に落ち込んでる自分の姿を見られたくない、という思いもあり、私はある決断をします。

それは、「8月いっぱい就活サイトを絶対に開かない、就活をしない」です。


6、気持ちの変化

1年も就活を続けて決まらなくて、そんな中で「1ヶ月遊び狂おう」と決めた私。正直アホだと思います。単なる逃げです。

でも、実はこれがそれまでの負の連鎖を断ち切ってくれました。

来日した友人は交友関係がともかく広い人で、私以外にも多くの日本人の友人を持っていました。その友人自体私より年上の方だったので、その繋がりで年上の日本人の方に知り合う機会が増えました。

初めての方と話す時、やっぱり自己紹介をしますよね。その際、大学5年生なので「なんで5年生?」と聞かれますのでしぶしぶ留学→リーマンショック→就活のための延長とお話。

年上の方ですでに働いている方が大半だったので、流れで「就活がうまく行かなくて。。。」とお話をすると、みんな口を揃えて「就活なんて通過点のひとつだ」と言ってきました。社会人になり10年を超えた今だと、その通りだと思いますが、当時の私は、具体的にどうゆう意味かわかりませんでした。

有名企業に入ったけど合わなくて辞めて、今は零細企業に就職して他の仕事をして楽しんでいる方、某有名私立大学を卒業したのに就職せずにバイトで繋いでいる方、就職はしたけれど海外への憧れが捨てきれず海外青年協力隊でアフリカに行ってた方、会社辞めてワーホリに行った方、やっぱり会社辞めて語学留学に行った方、入った会社が超ブラックでとんでもない逸話をネタのように披露する方。笑

新卒の就活が今後の人生を全て決めるものだと感じ、「ちゃんと就職しなきゃ」と気づいたら凝り固まっていた私の頭。遊び狂う中で色んな方に出会い、話を聞き、「なんで就職しなきゃいけないんだっけ?」という根本的な部分に疑問を抱くようになりました。

自分のなかで「就活はしない」と決めていたので、就活本やノートに向き合わない形で、のんびり待ち合わせまでの時間をカフェで潰したりしてる時にこの根本的な疑問について考えた結果、最終的にはやっぱり「就職したい」という結論に達しましたが、その根底となる自分の思いに気付きました。

その思いは、日本人として当たり前の社会人の知識・常識を身につけた上で外の世界に出たい、でした。

それを考えた時、業界とか職種とかどうでもいいなって思ったんです。当初から海外赴任を目指してたので職種とかどうでもいいとも思っていましたが、そう思う別の根底の自分の考えがなんなのか気づいていませんでした。メーカー系にばかり絞っていましたが、最初に就職した会社で海外赴任を目指すだけが道じゃないな、と。社会人の常識なら、日本企業ならどこでも身につけられるじゃん、と。

だったらちょっとでも興味が持てた会社に応募してみようと思えるようになりました。


7、結果

友人が帰国して8月が終わり、9月1日に1ヶ月ぶりに就活サイトを開きました。未読の大量のメールが溜まっていましたが、それはもう過去のメール。一切見ずに破棄。9月以降で説明会があるところを探して最初に興味をひかれた企業。

それが実は内定をくださった企業になりました。

業種はそれまで一切応募も、募集要項さえも覗かなかった旅行業界。

遊び狂った夏以降で応募した会社は5社にも満たなかったんですが、その中で2社一次面接を突破し、うち1社に決まったんです。

これまでの1年間なんだったの?と思いました。笑

自分の就職する目的が「ゆくゆくは留学先に戻りたい」ではなく、「ゆくゆくは海外に出て行くために日本人社会人としての常識・知識を身につけたい」に変わっただけで内定先が決まりました。

最終的には「留学先、もとい海外に出ていきたい」と共通しているんですが、このちょっとの差で結果に雲泥の差が出ました。


8、学んだこと

結局海外赴任という方法ではありませんでしたが、最初の内定先の業務上、仕事で10回近く元留学先を訪れることができ、それ以上に多くの国を訪れることが出来ました。

そして、比較的日本的伝統企業に近い会社だったので、おかげで上下関係やら年功序列やらお客様は神様志向やらサービス残業やら悪しき日本社会人の常識も身につきました。笑

また、自分が今後のキャリアで何の能力がほしいかを考えて業種を絞らず職種で選んだ1つ目の転職先で、求めた能力以上の知識を身に付けることができ、それが今の仕事につながり、この2社のおかげでいくら仕事をしても苦にならないナゾのメンタルを手に入れました(アメリカ育ちの旦那は理解出来ないようですが)。

3回行った転職活動も、業種・職種をあまり絞らずに自分が求めていることが出来そうなものを、と思って探したので、準備1ヶ月、転職活動2ヶ月の計3ヶ月以内で決まっています。


この就活地獄で学んだことは、自己分析というか自分の考え・思いの根底にあるものをしっかりと捉えること、そして決めつけずに視野を広くすること。

仕事内容で、「これがやりたい」というのを大事にするのも大切だとは思いますが、それ以外の仕事を割り当てられてしまっても、そこから学べることは必ずありますし、それが本来やりたいことへ、自分の根底にある思いや望みをブレずに捉えられてさえいれば、その道へ繋がっていきます。

就活の時は「仕事に就く」ことが目的になってしまいがちですが、自分の人生で何をしたいのか、どんな夢を持っているのか。遠回りになっても、その夢を追いかけてさえいれば、今やっていることや仕事に無駄なことはないと思います。

という私も、結婚して家族を持って、それなりに制約はありますが、留学先に戻りたいという夢はまだ捨ててません(笑)。家族を置き去りにして叶えるつもりも毛頭ありません。

当時は想像もしなかった形で、夢は叶えられる(海外に出たいと思ってて、まさかの結婚ていう形で、しかも候補にも出てこなかったハワイに住んでいる、でも「外に出たい」という夢は叶ってる笑)。

「あなたは何のために就職を選ぶの?」

是非、これから就活地獄に入ろうとしている方は、この質問に正直な答えを出してください。

「どこに就職したいか?」ではなく、なんで仕事に就く道を選ぶのか、です。

アホな答えでも、突拍子もない答えでもいいんです。「みんな就職をするから」「親にもう金銭的な迷惑をかけたくないから」「自立したいから」こうゆう通り一辺倒な回答は不可です。「金持ちになって都内に6LDKの一軒家がほしい」「いつか宇宙に行ってみたい」「モデルさんと結婚して幸せな家庭を築きたい」そうゆうのでいいんです。じゃあそれをどうやって叶えるか?そのための手段として就職をどうやって繋げていくのか?そうゆうことを是非考えてみてほしいです。

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