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『ジョーカー : フォリ・ア・ドゥ』

ジョーカー最新作の話をさせてください。
ネタバレ含むのでお気をつけて。

僕は前作が人生で観た映画の中でかなり上位で好きで、てかそこでホアキン・フェニックスにハマり、『カモン カモン』『ボーはおそれている』など以降のホアキンの出演作品をちょこちょこ観てます。ちなみにDC映画はそんなに経験ありません。

そんな前作厨の僕的に最新作はっ......

.......普通でした。好きでも嫌いでもない。

いや、でもそれでいいのかもしれない。
それが正解、当たり前なのかもしれないと勝手に意味付けをしてしまいたくなるのが客という物。

いやね、今作を観て思ったのが、ジョーカーの物語では無いなと。アーサーの物語だなと。前作を社会的弱者として虐げられる最初から、悪のカリスマ誕生の最後までを1つのジョーカーのショーだと捉えた時に、今作はショーが終わった後の、ジョーカー(演:アーサー・フレック)の終演後を描いた作品だと感じた。だから前作よりも面白さに欠けたり、パッとしないのも当たり前というか、"だって現実/日常はそうじゃない"という感じ。言ってしまえば、前作冒頭の病と寝たきりの母を抱え、通行人にリンチされる悲しき客寄せピエロ......というのも現実ではあるのだけど、それで十分ドラマがある。今作のアーサーは前作を経て、ある種弱者から逸脱した人間となったというか、勿論刑務所に居るんだけど、ある程度周りの人間に相手してもらえる、自分を見てもらえる"普通"がある状態だと思うんです。そんな今作の彼を見ると、前作を全て1つのショーと捉えることもできる。芸能人が変装などしなくても意外と街中でバレないのと同じように、ショーを終えたアーサーは、"普通"なのだ。だから、最期もリーに殺されるかと思ったら、それをしてしまうと"ドラマ"が生まれるから、名前も分からないモブ囚人に殺される。本編通して、ずっとパッとしない。でも、"That's Life - それが人生。"

要所要所で好きなシーンはありました。まず作中初めて歌う、刑務所でテレビを観たアーサーが歌い始めるシーン。あそこはグッと引き込まれて、最初こそ「前作と打って変わって、ミュージカル映画に舵取ったらしいけど大丈夫かな...?」とか思ったけど、「これならいけるかもしれない」とさえ思った。欲を言えば、あれをアーサーの妄想じゃなくて、現実にして欲しかった。アーサーなら、ジョーカーならあれくらいの歌・踊り、現実でやるじゃん。......とも思ったんだけど、妄想にして正解だったかも。だって現実、すなわち僕らの日常では急に歌ったり踊ったりしないじゃん。これはアーサー・フレックの面白みのない日常の映画なんだから、ミュージカルシーンの大半を妄想とした製作陣の判断は正しいように思う。

あと前作は階段降りのシーンがカッコよくて、高校生の時真似したけど、今作は裁判の「ジョーカーは僕だ」のミュージカルシーンが激烈にカッコよくて真似したくなったなぁ。あとリーがアーサーの独房に忍び込んでメイクしてあげるシーンも最高だった。

前作では作中きっての名シーンとなった階段降り。あの階段が今作ラストでは、冷たく重い色調で。しかも前作が軽快に踊りながら降りたのを、今作は昇るという対比。そしてその階段で愛する人に殺される......訳もなくただただ別れ話をするというおもんなさ。現実さ。凄く良いなぁ。

正直なんでアーサーが終盤で急にジョーカーなんて居ないと言い出したのかは分かんなかった。けど、ラスト自分を崇拝し、ジョーカーの格好をする男から逃げるシーンも良かったなぁ。アーサーが完全にジョーカーを辞めた、ジョーカーの影から逃げるようで。というより、今作は終始世間がアーサーにジョーカーであるように圧力をかけていたというか、アーサー本人の意思以上に周りがアーサーをジョーカーたらしめようとしていた。リーでさえも。しかも今作思い返すと、アーサーは一度も他人に暴力や殺傷を行っていない。(妄想ではあるけど)そこが、アーサーがもうジョーカーではなくなりかけている事が分かるというか。というより、リーもリーで別にハーレイ・クインでは無かったように思う。真にジョーカーの恋人になる事ができていたら、晴れてハーレイ・クインになっていたけど、ハーレイ・クインになれなかった女という印象。

あとアーサーは二重人格で、ジョーカーはアーサーとは別人格か否かが討論されていたが、僕はジョーカーは別人格じゃなくて、アーサーの"変身"だと思う。だからジョーカーも紛れもなくアーサー自身。そのアーサーがジョーカーに変身する能力をだんだんと失っていき、最後には本当に二度と変身出来なくなるというのが今作のストーリーのように思える。

あと話変わるけど、前作はかなり考察がなされた映画だったじゃないですか?「時計の針がどのシーンでも同じ時間を刺してて、その時間は宗教的には 〜 という意味があって...」みたいな。「実は最初から最後まで全てアーサーの妄想だったんじゃないか」とか言われてたじゃないですか。今作はそういった考察の余地は無いというか、めちゃくちゃ具象的な映画だと感じた。いや、何度か妄想ミュージカルは挟まるんだけど、現実を淡々と描く感じ。まぁ言ってしまえば前作で「実は最初から最後まで全てアーサーの妄想だったんじゃないか」みたいにした考察は全て公式から「現実に起こった事でした」と正解が提示されちゃうので、考察好きにはおもんない続編っちゃ続編なんだけど、いやそうなんだよね。現実なんだよ。何の面白みもない現実なんだから、今作は考察するような演出も何も無いんだよ。だって全部可もなく不可もない現実なんだから。だから何度も言うように前作を1つのショーとして、今作を現実とした時に、前作は前作で、今作とは切り離して作品として完成してると考えることも出来るわけ。だから「実は最初から最後まで全てアーサーの妄想だったんじゃないか」みたいな考察も生きてると思うのよ。前作「ジョーカー」という作品の考察として。まぁだから入れ子構造みたいな、前作は今作から見た劇中劇と捉えることもできるかなって。

あとアーサーをちゃんと殺してくれて嬉しかった。いや、アーサーは死ななきゃダメだったと思う。これで死なずに、味をしめてまた3作目なんて作られたら今度こそ蛇足になるかもしれない。それも、ハーレイ・クインじゃなくて、モブに刺されて呆気なく殺されるというのがいい。このモブ君は割と物語序盤からカメラワークなどで伏線を張ってて、僕も「コイツはずっと物語に関与しないけど何なんだ」「何かのメタファー?アーサーの子供か?」とか無駄に勘ぐったけど、実は何でもない、ただの囚人Aで、最後にはっきりした動機も分からずアーサーを刺し殺す。これがいい。アーサーの人生における、ぽっと出のモブに人生の幕を降ろされる。死はドラマチックなものなんかじゃない、突然ぽっと出の奴に刺されて訪れる。でも、"That's Life - それが人生。"

いやぁエンドロールも良かった。散々ここまでこれはおもんない現実の映画と語ってきたが、エンドロールのフォントとか文字の色とかで「アーサーの人生」という1つの喜劇/ショーを観せられたように思える。カッコイイ。やっぱショーかもねw

まぁこんな感じです。
僕は前作が好きだし、今作は今年観た映画の中でそこまで特別面白かった・好きな映画だとは言えないけど、それでいいんです。

"That's Life - それが人生。"

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おわり。

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